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*** 「お師匠様…あの、どちらへ?」 少女が不安げに聞いた。 すでに、戦火が眼前に迫ったプロンテラには戒厳令が敷かれ、気楽に旅などという雰囲気は無い。さらに、イズルードの飛行船定期航路も当然ながら切り上げられているし、少しでも兵力の足しにということで、駅馬車などに用いられていた馬も、軍馬として徴発されてしまっているのだからたちが悪い。 「心配ない…仕事だ。すぐに戻る」 「あの、私もいきます」 「だめだ!」 女は感情的に言ってから、すぐに我に戻って口を手でつぐむと、少女の前にしゃがんで、そっと目線を合わせた。 「よいか、私はこれから戦場へと行ってくる。お前はこの場を守っていなさい」 「で、でもお師匠様」 少女は目に涙を溜めて師匠へとすがりつく。戦場という言葉が、とてつもなく恐ろしく聞こえたのだ。 「私は…プロンテラ大聖堂特別異端審問官、不幸なる者があれば救いに参りましょう」 女は胸に手を当ててわざとらしく言うと、少女をそっと抱きしめて額にキスをした。こんな事をするのは初めてだったが、不思議と変な力も入らずに自然にすることが出来た。 そうしたいと心から思っていたからかもしれない。 「お師匠様」 「良い子だ…必ず返ってくる」 女は立ち上がり、少女の頭を優しく撫でた。そして、振り返らずに部屋の扉を開ける。 「い、いってらっしゃい。お師匠様。気をつけて…」 少女の泣きそうな、か細い見送りの声を背中に受けて、振り返ってもう一度抱きしめたい衝動を押さえ込みながら女は部屋を出た。 振り返ったら、この一歩が踏み出せなくなりそうで恐ろしかった。 大聖堂の廊下で、彼女と同じ真っ黒なローブを着た男が立っていた。彼もまた、特別異端審問官の一人である。女はゆっくりと歩きながら、通り過ぎざまに彼に小さく言う。 「例の調査、頼んだぞ。それから…特使を」 「解っております。ご武運を。神のご意思と、共にあらんことを」 男は深々と頭を下げた。 大聖堂から出ると、黒いローブを着た熊の如き大柄な初老の男が彼女を見つけて、呆れたような笑みと共に、片手を上げた。その手には、ラマの手綱が握られている。 「ペコペコも馬も軍用に持っていかれた。ラマで勘弁してくれ」 「上等です。ラマでも用意してくれて感謝していますよ。ボルツマン司教補」 「そ、その呼び方はやめてほしいな」 女は鼻でバツが悪そうにごまかしの笑みを浮かべると手綱を受け取り、鐙(あぶみ)に足をかけて一気にラマへとまたがった。 「どうするんだい?嬢ちゃん。戦況は不利らしいぞ」 「修道院へ」 女は西の空をじっと見詰めてつぶやいた。 「修道院…?」 「ゲフェンの方にあるでしょう?軍を鼓舞するにはちょうど良い」 ローブの男は女の言わんとすることを理解したのか、ポンと手を売って、納得したように唸りながら何度も頷いた。 「毒を飲ませるのか」 「そうだな…毒かもしれませんな。我々は」 「ハッ、色気潰して生きてる嬢ちゃんが言うかい?そういうのは嫌いだろ?まったく、可愛げがない」 「何とでも言ってください。では、行ってくる。私の弟子の事はくれぐれもお願いします。危険な目に遭わせないように」 「はんっ、嬢ちゃん育てたの誰だと思ってるんだい。子育てなら任せとけ」 そう言って男は懐から一冊の絵本を取り出して見せた。 「用意の良い事で。感謝します。では!」 「死ぬなよ」 女は返事代わりにと、思いっきり手綱を引いて、ラマの横腹を蹴飛ばしたが、ラマは面倒くさそうに一度嘶いて、パカリパカリと歩き始める。なんとも格好の付かない出立に二人とも苦笑いを浮かべていた。 *** ミョルニル山脈の山頂付近に位置する山城の周りで轟音が鳴り響いている。 その威力は絶大で、ルイーナの城壁を完膚なきまでに叩き潰したほどである。 あれほど、気分を高揚させた戦場の轟音は、今は恐ろしいだけのものに成り果てていた。 「敵兵が終結しつつあります。この戦域に展開しているシュバルツバルド共和国軍は、およそ26000。対する我が方は4000あまり…。すでに兵士たちにも疲労が色濃く出ております。さらに良くないことに、斥候の情報によりますと、ジュノーに敵本隊4万が集結中との事」 ゲルハルトは額に手を当てて考え込んだ。自分の疲労も限界に近づきつつある。ここ、数週間、シュバルツバルド軍は、一斉攻撃を行わず、日に何度も少数部隊による侵攻と撤退を繰り返している。 そのため、彼らは片時も休むことができず、精神的にも相当に追い詰められていた。最早、気力だけで戦っているような状況だが、それでもシュバルツバルド軍は、弄ぶように、いたぶるように、小刻みな侵攻を続けている。 「クソっ…援軍はまだか?」 ゲルハルトは周辺の地図の置かれたテーブルを思い切り叩きつけた。 「援軍を送ったとの連絡はありましたが、到着までにはまだ時間がかかるかと」 「くそ…何とか持ちこたえねば」 その時、砦の入り口の方から一人の兵士が大慌てで駆け込んできた。 「ゲルハルトさま!敵部隊が侵攻してきています」 「どこからだ!?」 「西ルートです!」 「数は!?」 「先発隊と思われますが、現状で確認できているのは5000です」 ゲルハルトは剣を手にとって立ち上がった。 「動けるものは私に続け!なんとしても迎え撃つ!」 ゲルハルトの号令のもと、疲労困憊の兵士たちは武器を引きずるようにして、敵の迎撃へと向かう。 ミョルニル山脈の細い山道に展開した敵部隊はおよそ5000。細い道をふさぐような形で長槍兵を中心にテルシオ方陣を組み、後方にはカルバリン砲部隊という二段構えである。対する王国軍は騎兵部隊およそ4000。 王国軍も元々は、砲兵隊や、歩兵部隊も多かったのだが、撤退戦の際に、行軍の妨げとなる重砲は全て放棄し、それでも激しい追撃の前に、移動速度の遅い歩兵部隊は壊滅していった。そして残っているのが、この騎兵4000である。 こんな兵力ではまともに戦えば勝ち目は無い。 だが、そんな判断はすでに、ゲルハルトにも他の誰にも出来なくなっていた。 たとえその先に有るのが死であると明白であろうとも、彼らに残された選択肢は、ここで踏ん張って前に出るのみなのだ。 野獣のような叫びを上げて敵部隊へと切り込むゲルハルト。テルシオ方陣は長槍兵の方陣とそれを囲う銃兵によって構成された陣形である。 飛び交う弾丸の前に、次々と倒れていく仲間たち。騎兵部隊を中心にすえた王国軍とは特段に相性が悪い組み合わせである。 攻め込むことに二の足を踏む仲間を鼓舞し、ゲルハルトは先頭に立って敵陣へと切り込む。 銃兵部隊が後ろに下がり、入れ替わりに押しあがってくる長槍兵。その槍襖(やりぶすま)の前に次々と騎士たちは倒れていった。あるものは貫かれ、あるものは叩き落され。 そして、あるものは後方からの砲撃によって吹き飛ばされていく。 まるで、世界の気まぐれによって殺されていくかのように、昨日まで泣き、笑い、怒っていた命が、ゴミクズのようにただの朽ちた肉へと変換されていく。 それでもゲルハルトは戦った。自分は英雄になるべき人間だ。自分は英雄にならねばならない。何が何でも。姉のためにも。 だから、自分は絶対に死なない。そう信じてゲルハルトは剣を振るった。 だが、そんな思い込みだけで生き延びられるほど戦場は甘くない。 気が付いた時には、彼は落馬し地面の上に叩き落されていた。 「し、しまった」 「ゲルハルトさま!」 副官のアルブレヒトの叫び声が聞こえる。 ゲルハルトは身体をまるめて矢の雨に耐える。周りの槍兵たちが次々と倒れていく中で、かれは頑強なフルプレートと、倒れた敵兵の死体によって被害を免れた。 何とか体を起こすと、森の中から見慣れぬ旗印の部隊がこちらへと突撃してくるのが見えた。 十字架に絡みついた蛇の紋章。見たことが無い旗だった。 「全軍突撃!後方の大砲を優先で破壊しろ!」 森から現れた部隊による側面攻撃で完全に動揺したシュバルツバルド軍は陣を立て直すことができずに、ずるずると後退をはじめる。 「ひるんでいる今が好機だ!敵を押し返せ!」 突然現れた謎の騎士団の頭目と思しき甲冑の騎士が、甲高い声で叫ぶ。呆気に取られていたゲルハルトの部下も、その言葉で我を取り戻し、武器を手に手に敵へと向かう。 シュバルツバルド軍は、そのまま押し切られ、ついには戦線の維持は困難と判断。本陣まで撤退を余儀なくされた。 撤退していく敵部隊を尻目に、援軍の隊長と思しき騎士が、まだ呆気に取られて状況を飲み込めていないゲルハルトに手を差し伸べた。 「ご無事ですか?ゲルハルトさま」 「お、女・・・?」 「我ら、聖エリスティア乙女修道騎士会。神のご意思によって援軍に参上いたしました。騎士団長のエリーシュカ・プリセツカヤです。お見知りおきを」 少女が凛々しく微笑んだ刹那、彼女の背後に立てられた軍旗がばさりと勇壮な音を立てて力強くはためいた。 *** 「どういう事だ!」 本陣の中でゲルハルトは激昂した。目の前には真っ黒なフードを被った女が一人。 「命を救っていただいたことは感謝しよう。しかし、援軍が…小便臭い小娘ばかりの騎士団がたったの100騎!これは何かの冗談か!?」 激怒するゲルハルトを前にして、女は余裕の笑みすら浮かべて立っている。それが余計に彼の精神を逆なでする。 「くすくすくす、また会ったなゲルハルト。健勝そうで何よりだ。そんだけ叫ぶ元気があるなら、まだまだ使い物になりそうだ。クスクスクス。」 女はわざと意地悪く笑ってゲルハルトを真っ直ぐに見つめた。 「貴様、私を愚弄するために来たのか!?」 「まあ、そう吼えるな。もう、国としてはバカな猪武者に出す兵は無いということだ。それに、貴様は解らぬかもしれんが、彼女らは一騎当千、いや万軍にも匹敵する力を持っている。それを生かすのも指揮官の務め」 「何を適当なことを!」 「良い兵士とはなんだか知っているか?」 女はゲルハルトの言葉にもまったく動じる事無く、氷のように詰めたい口調で聞いた。 「良い兵士とは、強く、そして勇ましく、命令を良く聞くものだ。だからなんだ!」 「違うな…良い兵士とは、自ら喜び勇んで死んでいく者を言うのだ。お前の軍を…そんなすばらしい軍にしてやろう」 女は意地悪く、クスクスと耳障りな笑い声をあげたその時、彼女の笑い声をかき消して、背後から爆発のような大歓声が沸きあがった。 「な、何事だ!?」 「優秀な兵士たちの産声だ・・・。行くぞ」 女は大歓声を上げる兵士たちの方へと歩き始める。ゲルハルトも慌ててそれに続くと、兵士たちを前にして、一段高いところで先ほどのエリーシュカ・プリセツカヤが涙ながらの熱弁を振るっていた。 「私はこのミョルニル山脈の村で生まれた!美しい川があり、美しい森があり、懐かしい故郷があった!私は誓う!何があろうと、この地を我らで取り戻すと!だから、あなたたちの力を貸して欲しい!我々、修道騎士会も力の限り戦います!」 エリーシュカの左右を固めるように、これもまた数名の若く美しい少女が、凛々しく鎧を着込んで立っている。 彼女の言葉の一言一言が、それを聞く兵士たちの心を熱して、その体に流れる血を滾らせていく。 「さあ、指揮官様。お前が仕上げにいって来い」 女に背中を押されて、演台へと上がるゲルハルト。何を言えば良いのかまったく見当がつかなかったものの、そこに上ったとたん、まるで台本でも読むかのように次々と言葉が頭の中に生まれてきた。 「諸君。我々は現在、苦しい状況に有る。すでに、王国には余裕も無く、彼女たちのような娘にまで戦わせねばならない。自らの娘ほどの歳の娘が、命を賭して国のために戦っているのだ。ここを抜かれれば、王国に未来は無い。我ら、祖国の未来のための礎となろうではないか!彼女たちが戦っているのだ、我々が戦えぬはずあるまい!もう一度、敵に攻め入るぞ!彼女らを死なすなよ!」 再び上がる大歓声。 日没後。 「参りましょう!願わくば、みなさんに主のご加護のあらんことを。そして、主のご意思と共にあらんことを」 「行くぞ!我ら、騎士団の意地を見せるぞ!」 ゲルハルトの号令とともに大歓声が上がる。 プロンテラ騎士団の軍旗、聖エリスティア乙女修道騎士会の軍旗、二つが篝火に照らされて真っ赤にはためいていた。 砦を出発した王国軍は、夜闇にまぎれて下山し、森に身を潜めながら薄く広く敵陣を囲い込むように部隊を展開し、息を潜めて日の出を待つ。 そして、恋人の如くに待ち焦がれた日の出を合図に、敵陣へと無数の火矢が放たれた。 「行くぞぉ!」 ゲルハルトが馬を駆って森から飛び出し、それにエリーシュカも続く。 運の良い事に張り巡らされた陣幕が視界をさえぎって、ゲルハルトたちの位置を解りにくくしており、敵の初動を鈍らせた。さらに、火の手が上がると、燃え盛る陣幕が敵にさらなる心理的な圧迫とかく乱効果を与えていた。 体勢すら立て直せず、逃げ惑う敵兵を貫き、そのずっしりとした死の手触りを感じながら、ゲルハルトは勝利を漠然と確信していた。 「ゲルハルトさま…あれを」 エリーシュカに言われて見てみると、本陣の離れたところで、何とか体勢を整えた敵部隊が、大砲部隊を囲むように長槍兵を再編成しはじめていた。 「厄介だな、行くぞ!敵の大砲を潰す!私に続け!」 ゲルハルトの叫びに、仲間たちが合流し、バラバラだった騎士たちは一本の奔流となって槍兵部隊へと詰め寄っていく。 とはいえ、長槍に騎兵で突っ込むのは明らかに不利である。 しかし、この時、ゲルハルトもまた、英雄の毒を飲んでいた。 ゲルハルトは槍衾(やりぶすま)に向けて馬とともに飛び掛ると、上空で鐙(あぶみ)を蹴って馬を乗り捨て、方陣のど真ん中に着地する。 あっという間に隊列が崩壊していく。 「エリーシュカ!行け!」 「感謝します!御武運を!みな私に続け!大砲部隊を叩き潰します!」 エリーシュカは散り散りになった敵の長槍兵を馬で飛び越して、大砲部隊へと肉薄、次々と敵を斬り捨てていく。こうなっては、シュバルツバルドの誇る高性能の砲兵部隊も、絶大な威力を誇るウルバン砲もただの金属の筒である。 次々と、砲兵が倒れていき、そして陣に火の手が回っていく。 所々で、首級を挙げた勝鬨が上がり始めていた。 ゲルハルトも斬り捨てた敵兵の顔を見て、ハっと気づき、その首を切り落として槍に突き刺して高くかかげる。 瞬く間に、敵兵へと動揺が広がり、それとは対照的に味方からは大歓声が上がる。最早、戦局は誰の目にも明らかであった。 そんな阿鼻叫喚の戦場を見下ろす山城の上で女は深々とため息をついた。 「女のために戦うか・・・。まったく、面白いものだ。とはいえ、参ったものだな…」 女は、ゲルハルトの荷物から見つけた小瓶に入った液体を見つめて呟く。 「英雄…か、こんなものが出てくるとは…」 さきほど、聖堂から届いた一通の書簡を見ても、彼女の予想していた最悪の事態が書き綴られていた。いつもいつも、最悪の事態を予想しているとはいえ、何度もそちらへと現実が傾けば、暗くもなるというものである。 書簡をめくっていくと、最後のページで筆跡が変わっていた。何事かと思って目を落としてみると、そこには可愛らしい文字でつたない文章が書かれていた。 『お師匠様、良い子にして帰りを待ってます。元気で返ってきてくださいね。』 女はそれを読むと、目を閉じて空を仰ぐ。 そして、手に持った小瓶を元あったゲルハルトの荷物へと戻す。 「どうやら、今回の仕事も大詰めのようだな。いったい、どんな結末を見せてくれるんだい?」 女は、銀製の魔法のランプにそっと触れた。 *** 聖エリスティア乙女修道騎士会の援軍により、一気に士気を増した王国軍は戦力差五倍の逆境を覆し、ミョルニル山脈に展開していたシュバルツバルド帝国軍を壊滅させ、反撃を開始した。 ミョルニル山脈の戦いより数日。奪われた北方辺境領を次々と奪還し、アルデバランの目前まで迫ったところで、シュバルツバルド共和国は、ルーンミドガズ王国の提案による休戦会議へと応じる事となる。 開戦より二ヶ月。強い日差しの照りつける八月のその日。シュバルツバルド領アルデバランにて休戦会議が開かれた。 停戦に際して、シュバルツバルドの提案はルイーナ・アルデバランの永久租借及び、租借地内での領事裁判権、ならびに戦債賠償金として50兆ゼニーの支払いおよび、今後のルーンミドガズ王国の軍備の制限、さらに貿易に際して王国の関税自主権の放棄、ならびに一方的最恵国待遇であった。 当然ながら、王国側としてはこのような要求を受け入れる事は出来ないが、反撃により領土を取り戻しつつあるとはいえ、軍部、国内を問わず厭戦のムードが高まっており、有る程度のところで領土割譲も仕方ないという考えも、支持を増しつつあるのも事実だった。 「冗談ではない」 ゲルハルトは、会談の間へと続く長い回廊で、一人つぶやいた。そして、懐から小さな小瓶を取り出して、じっと見つめる。 「このままでは、領土を縮小させた敗軍の将となってしまう…。姉さん。俺は英雄になるんだ…俺は英雄に」 ゲルハルトは会談の間へと踏み込む。 「あら、まだお時間がありますわ?」 彼に気づいたメイドが言った。 「すまないな、せっかちなもので…」 「あの、騎士さま。戦争・・・終わりますか?」 メイドの少女は不安げに聞いた。 「終わると、良いな」 ゲルハルトは寂しげに笑って答えた。 「ええ、軍人さんも終わると良いって考えてるって、ちょっと安心しました」 「優しいのだな・・・シュバルツバルドの生まれか?まだ、お前の国のが有利なのだぞ、ここで戦争を終えてしまってはもったいないと考えるのが普通ではないか?」 「そんな、小さなことで命を終えてしまう人が増えるほうが、もったいないです」 少女は物怖じせず、ハッキリとゲルハルトに向かって言った。チクリと、その言葉が心に突き刺さる。 「そうか…名はなんという?」 「私ですか?私は、マリアンルージュ・ミシュランドッターです。あの、騎士さまは?」 「私は、ゲルハルト・アデナウアーだ」 「ゲルハルト様、差し出がましいようですが・・・どうか、戦争が終わるようにお願いします」 「ああ」 ゲルハルトは小さくうなずいた。 「では、私は仕事がありますので、失礼します」 マリアンルージュが深く頭を下げ、奥へと戻っていったのを見届けると、ゲルハルトは部屋の中央に置かれたテーブルに近づく。そこには、六脚の椅子が置かれ、グラスが六つ置かれていた。 そして、テーブルの向こう側にはもう一つの部屋の入り口。つまり、シュバルツバルドの人間が入ってくる扉である。 ゲルハルトはメイド達の目を盗んで小瓶を懐から取り出すと、その中の液体を数滴、自分たちが座る側の右端のグラスへと注いだ。そこは、副官のアルブレヒトが座るであろう席である。 「許せよ・・・アルブレヒト」 彼のつぶやいた空しい謝罪の言葉は、乾いて朽ちて中空へと消えていった。 そして、辺りを見回して、誰も見ていなかったことを確認すると、ゲルハルトは素早くテーブルを離れた。 彼が部屋を出て行ってまもなくの事である。マリアンルージュは、再びテーブルのところに戻ってきたのだが、その時、彼女は足元で何かを蹴飛ばした。 カランと音を立てて転がる銀色のランプ。彼女は不思議そうにしゃがみこんで、それを手に取った。 「なんだろ…でも、綺麗なランプ」 顔が曲面に映りこんで、まるで鏡のようなそのランプに、一箇所指紋がついて輝きが曇っている場所があった。彼女は無意識に、エプロンの裾を持ち上げて、指紋をやさしくふき取る。 すると、見る見るうちにランプから紫色の煙が吹き上がり、モロク様式の薄布の民族衣装をまとった見知らぬ女が目の前に現れた。 「ひっ」 思わず声を上げそうになる彼女を、ランプから現れた女の手がふさいだ。見知らぬ国の、不思議な香料の香りがふわりと漂う。 「私はランプの精…あなたの願いを一つ聞き入れよう」 「え?」 「本来ならば…今は充電期間なのだが、私を綺麗に保とうとしてくれたお前へのせめてもの礼だ」 ランプの精はやさしく微笑んだ。 「じゃ、じゃあ」 マリアンルージュは戸惑いながらもランプの精をまっすぐに見つめて言う。 「この戦争が、早く終わるようにしてください。できるだけ、人が苦しまないで、悲しまないで終わる形で」 そんな彼女を、ランプの精はあっけにとられたように口をあけて見つめていた。 「お、驚いた。そんな願いで良いのか?」 マリアンルージュは少し恥ずかしそうに笑って舌を出した。 「い、いや…人間も捨てたものではないな…ならば、汝の願いは聞き入れた。あとは黙って見ておれば良い」 ランプの精は、テーブルの上にあったグラスを二つ、位置を入れ替えると紫色の煙になって消えてしまった。 *** 数刻後。 正面には三人のシュバルツバルドの外交使節。 淡白な社交辞令を終えると、血のように赤いワインが彼らのグラスに注がれる。 遅々として進まぬ交渉。 断固として譲らぬ両者。会議は平行線かと思われたその時、ゲルハルトは手元のワインに口をつけた。芳醇な香りを口いっぱいに味わい、満足げに飲み干すゲルハルト。 その香りが、紛れもなく死の接吻の香りであると…彼は知らなかった。 これを飲み干したら、美味いと言って、まだ口をつけていないアルブレヒトにも飲ませよう…と、考えたその時、突如、視界が揺らいだ。 「ゲルハルトさま!」 アルブレヒトの声がやたら遠くに聞こえた。おかしい。 鈍い衝撃を感じてふと気がつくと、目の前には高い天井が見え、ローブの女とアルブレヒトが自分を覗き込んでいた。 喉の奥から鉄臭い液体がこみ上げてきて、アルブレヒトはそれを吐き出した。 死ぬのはアルブレヒトのはずなのだ。ゲルハルトは震える手を天へと伸ばした。何かを掴もうとして、つかめずただ空気をかく。 彼はアルブレヒトを毒殺し、そしてシュバルツバルドの陰謀をでっちあげて、再度侵攻の士気を高めるつもりだったのである。 しかしこれは、どういうことだ。 死の間際、彼がローブの女を見上げると、彼女は悲しげに薄笑いを浮かべていた。 「魔法のランプは、そのものに相応しい形で願いを叶える。お前には、それが相応しかったのだ。あの世で皇太子陛下に詫びて来い」 彼女はゲルハルトの耳元で小さくささやいた。 「お、お前が・・・!」 そう叫ぼうとしても、喉はカラカラに張り付いて声を出すことが出来なかった。だんだんと暗くなる視界の中に、彼は最愛の姉の姿を見ていた。 不意に、ランプに願いを告げたときの、罪悪感が深い後悔とともによみがえって来た。こんな事ならば、素直に姉の平癒を願っていればよかった。そう、思い改めてもすで全ては遅いのだ。 「姉さん、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい俺・・・死んじゃう」 そのとき、ゲルハルトの様子を心配して、近くに来ていたマリアンルージュが、彼の脇にしゃがみこんで、その手を取った。 「ゲルハルト・・・大丈夫よ」 「姉さん…」 ゲルハルトは霞んでいく視界の中に、懐かしい姿を見ていた。 「ごめん、姉さん。俺、姉さんに何もできなくて・・・」 「いいのよ、ゲルハルト・・・そんなに悲しまないで」 マリアンルージュは、優しくゲルハルトを抱きしめた。腕の中で小刻みに震える男は、とても歴戦の騎士とは思えぬほどに弱々しく、途切れそうな息をしている。 そんなやり取りを、その場に居た全員が、黙って見つめていた。 「姉さん…ありがとう。俺、もう・・・ごめん、何もできなくて・・・俺・・・死・・・ぬ」 視界が黒く染まる。何も見えない闇。音も何も届かない、自我すらも吸い込まれる闇に、ゲルハルトは包まれていく。 「姉さん!どこ!どこにいるの!?姉さん、真っ暗だ・・・怖い、怖いよ・・・姉さん!俺、俺が、居なくなっちゃう」 「ゲルハルト・・・大丈夫、私はここにいるわ。姉さんはずっと居るから・・・安心して。ゆっくりお休みなさい。起きたら、美味しい朝ごはんをいっぱい用意してあげるから」 マリアンルージュはさらに力強くゲルハルトを抱きしめる。彼の身体は小刻みに震えていた。 「姉さん・・・ねえさ・・・」 腕の中で震えていた体が止まる。ゲルハルトの身体から力が抜けて、急に重くなる。マリアンルージュは、そっと彼の身体を床に下ろすと、優しくそのまぶたを閉じてやった。 「すまんな」 真っ黒なローブの女が、小さく言った。 「いえ・・・出すぎた真似をしました、失礼します」 マリアンルージュは、深々と頭を下げて、奥の間へと下がっていく。彼女の目には、本当に弟を失ったかのように涙が溜まっていた。 ゲルハルトが息を引き取ったのを確認すると、女は拳でテーブルを叩きつけて立ち上がる。 「卑劣な!うぬら休戦会談の場を何と心得るか!この恥知らずどもめ!」 ビリビリと空気を振るわせる女の語気に、シュバルツバルドの特使達も気おされて何事も言い返せない。 女はゲルハルトの腕をそっと持ち上げて見せた。 女はそっとゲルハルトの腕を下ろすと、彼ら三人に詰め寄った。 「未だ戦局はそちらのが有利なのにも関わらず、会談に応じるとは…妙だと思ったのだ。指揮官を暗殺しようという魂胆だったのだな!」 「な、何を!言いがかりだ!」 「黙れ!この彼の死こそが何よりの証拠!どうせ、何かたくらんでおろうと思っておったわ! 「ま、まってくれ!休戦の条件を聞こうじゃないか」 「条件は簡単だ。国境線を戦前と同じアルデバラン北のノーグ川に戻し、互いに一切の戦債賠償を放棄。それだけだ」 女は考える間すら与えさせぬとばかりに、畳み掛けるように言った。 「しかし、5万もの兵力・・・本当にあるのかな?脅しでは?」 一人が薄笑いを浮かべつつ言う。しかし、女は動じない。 「窓の外を見てみろ」 女に促されて見てみると、凄まじい砂煙と陣太鼓の大音響と共に、軍勢が迫ってくるのが見えた。その数たるや砂煙が凄まじすぎて全体が把握できないほどで、5万というのも少なく感じられる勢いである。 「ば、ばかな!」 さらに、部屋の中に一人の共和国軍兵士が大慌てで飛び込んでくる。 「た、大変です!」 そう言って、特使の一人に耳打ちすると、見る見るうちに彼の表情が一変していく。それもそのはずで、彼のもたらした情報は、シュバルツバルド共和国の西端。アルナベルツ教国との国境地帯に教国軍が集結しているというものだった。 これも全て、女の計算どおりだった。プロンテラを発つ前に、部下に命じてアルナベルツに特使を送り、国境線に部隊を展開してシュバルツバルド共和国に対して圧力をかけるという密約を取り付けていた。脅しとはいえ、それはシュバルツバルドには判断のしようがない。そのため、下手をすれば王国との二正面作戦を余儀なくされるという焦りが共和国に生まれた。 それこそが女の狙いである。 彼女は、慌てる男たちを見て、非情な笑みを浮かべた。 「さあ、選べ。どうするんだ?お前たちの判断で、国の興廃が決する。慎重にな」 どこか勝ち誇った響きでそう言うと、彼女はどっかりと椅子に腰を下ろし、そして、傍らで息絶えたゲルハルトを寂しげに見つめるのであった。 *** 翌日、シュバルツバルド共和国とルーンミドガズ王国の間で休戦協定が成立した。国境線は戦前と同じノーグ川を境界とし、両陣営による共同警備区域を設けることに合意。さらに、戦債賠償の放棄によって状況は完全に戦前にまで巻き戻された。 とはいえ、戦火の傷跡や、膨大な戦費は、両国の経済を数十年分後退させたとも言われており、どちらの国も激痛と共に痛み分けという形であった。 結局、皇太子暗殺の真相についてはうやむやのまま、国民には知らされず、一部の関係者のみがその真実を胸のうちにしまい込むこととなった。 事実はこうである。ゲルハルト・アデナウアーはその出世欲から、国境地帯での戦闘を誘発させ、さらに存在しない部下の死をでっちあげて、空の棺おけで葬儀を行い、挙句の果てに皇太子を毒によって暗殺して国を戦争へと煽動した。 しかし、表向きには彼は英雄だった。 救国の英雄。ゲルハルト・アデナウアーの国葬は国を挙げて行われた。国民は皆、むせび泣き、英雄の早すぎる死を悼んだ。 彼の葬儀では、共に戦った聖女エリーシュカ・プリセツカヤの悼辞が読み上げられ、多くの人々の涙を誘った。 英雄の死である故に、こうして多くの人に悲しまれるのか。それとも、死して英雄となったのか。 ランプの精は彼に相応しい英雄としての末路を与えた。嘘をつき、誤魔化し、名誉を捨てて戦いを求めた男に相応しい英雄の姿を与えたのだ。 国中が喪に服するかのような、その暗い空気の中、女はある貴族の屋敷へと向かっていた。 薄暗い部屋の中、ベッドの上に一人の女性が座っていた。やせ衰えてもなお美しい彼女は、来訪者を予見していたかのように落ち着いた表情で女を出迎えた。 「いらっしゃると思っておりました。私のせいで・・・弟は私のために許されぬ過ちを犯しました…」 彼女の顔には涙の跡がくっきりと浮かび上がっており、目は真っ赤に腫れ上がっている。 「でも、弟はきっと感謝していると思うのです。夢がかなったのだから」 「英雄・・・か」 女は寂しげに言った。 「私を神様はお許しくださるかしら」 彼女は、小さな小瓶を手に取った。 「待て!」 女がそれを制止しようとしたがすでにそれは遅く、ゲルハルトの姉、モルガン・アデナウアーは毒を一息に飲み干していた。 「お許しください、私は…自らの命と、そして…もう一つの命を奪うのです。せめて、天国では他人として出会えることを祈ります・・・」 「お、お前・・・まさか」 女はモルガンの下腹部に目線を落とした。 そして、彼女は静かに息絶えた。 *** ルーンミドガズ王国を見下ろす、ミョルニル山脈の戦場跡に二つの墓が立っている。 一つは、ゲルハルト・アデナウアー。そして、もう一つはモルガン・アデナウアー。 共に、真っ黒のローブを身につけて、身を寄せ合うようにしている。 ローブの女は、横に佇む少女の自分の胸ほどの高さに有る頭をやさしく撫でた。 「英雄の墓だ」 女は小さく呟いて、墓標に花束をささげる。そこには、先客があったのか、シュバルツバルドでしかとれない、珍しい花の花束がささげられていた。 「ゲルハルト・アデナウアーさんでしたっけ?この間の戦争で、国を救ったっていう」 「そうだ…」 女はじっと墓標を見つめていた。 救国の英雄、ゲルハルト・アデナウアーここに眠る。そして、墓標の先には彼の剣が突き立てられている。 「私が死んだら、そう…モロクの街が見えるところに墓を作って欲しい」 女は傍らの少女に言った。 「え?お師匠様ぁ。変なこと言わないで下さいよ!お師匠様はまだ死んだらだめですっ。いやです!」 「そうだな…私は、いつもお前と共にあるよ」 そういって女は少女を優しく抱きしめる。 死をも覆そうとする愛が欲した禁断の書物。 女は彼らのことを思い出していた。 誰一人として、この世に生き残っていない…。 時間が無い。女は抱きしめた少女の肩越しに、夕日に赤く染まった西の空を、じっと見詰めていた。 「ところで、お師匠様。アルデバランに接近していたという五万の軍隊って、どこからの援軍だったのですか?」 少女に問われて、女はいつも通りのどこか意地悪い笑顔を浮かべて、少女から腕を離した。 「あれか?あれは、五千の軍隊だ」 「え?」 「事前に、エリーシュカに言いつけて皆に準備をさせておいたのだ。馬の左右に、紐で木の葉のついたままの木の枝をくくりつけさせて、みなで大音響を発しながら、砂埃を上げてアルデバランに近づいて来いとな。公式には五万ということにしておいたが…一種のハッタリだ」 「バレたら、どうするつもりだったんですか?」 「バレた時に考えるつもりだった」 女は平然と言い放って悪魔のように朗らかに笑い、それにつられて少女もまた、花のように微笑んだ。 |