・一人と一つ

 

 

 二人は飛行船に乗っていた。

 どちらも真っ黒なフードのついたローブを頭からかぶっているのは共通しているのだが、その一方は明らかに子供と思われる身長であった。

 「わぁ〜、すごい。飛行船って乗るの初めてなんです」

 鈴の転がるような声の少女は嬉しそうに甲板から身を乗り出して、はるか雲海を見下ろした。流れ行く雲の隙間から、時折海が見える。

 「こら、危ないぞ。落ちたら助けられん」

 もう一方のローブを身につけている女が言った。
 その暗いローブの中の闇の中で、緑色の瞳が少し楽しげに微笑んでいるようにも見える。

 「はぁい。お師匠様」

 少女は素直に答えると、もう一度名残惜しそうに雲海を振り返ってから、師匠の女性の下へと駆け寄っていった。

 イズルード発、ジュノー行きの飛行船の旅は天候にも恵まれて快適だった。甲板には、この風景を楽しもうと幾人もの旅人達が出てきている。

 寄り添って雲海を眺める恋人達に、新たな土地へと希望を抱く冒険者。

 楽しげに船内を動き回っている家族連れ。さまざまな種類の人間が甲板でごちゃ交ぜになっており、そこかしこから笑い声が聞こえてくる。

 最近になってやっと開通した航路であるため、もの珍しさもあって、こうして客がたくさん乗っているのだが、そんな中で、そこだけ世界から色が消えたような、真っ黒のローブを着た二人は明らかに浮き上がっていた。

 「ところで、母親はどうしている?」

 女は不意に思い出したように少女に聞いた。

 「母さんですか?母さんは、今は前のお仕事は辞めて、プロンテラでお肉を売るお仕事をしています。こうしていられるのも、お師匠様のお陰だって喜んでましたよ」

 「そうか・・・本当は、お前の母一人を救ったところで、何も変わらぬのだがな・・・」

 ローブの中で緑色の瞳が少し寂しげに揺れる。
 少女の母親は元々はプロンテラで娼婦をしていたのだが、少女を弟子にすると同時に娼館の主に身請け金を渡して自由の身としたのである。

 それは女の中である種の疑問として残っていた。

 救うべき娼婦や恵まれぬ者は沢山いるというのに、自分はひいきをしたのではないだろうか。

 そんな負い目が石のように心の中に生まれて、重心を少しだけ傾けていた。

 「あの、お師匠様。思うんですけど、一人を救えない人は全員を救うこともできないと思います・・・。1が沢山あつまって10とか100とかになっていくんでしょうし」

 少女は恐る恐る師匠を見上げた。
 フードの中の緑色の瞳が細くなった。

 「そうか・・・そうだな。お前は賢いな」

 女は少女の頭をフードの上から優しく撫でる。

 『まもなく当飛行船はジュノーに着陸いたします』

 甲板に放送が流れた。そこに何が居るわけでもないのに、甲板にいる人々の視線がスピーカーの方へと向けられているのが可笑しかった。

 スピーカーの技術も、シュバルツバルド共和国から伝わった最新のもので、まだまだこの王国の人間には馴染みの無いものなのである。

 ローブの女もそんな馴染みの無いうちの一人で、スピーカーを見上げていたのだが、ふと思い出したようにメインデッキへと下る階段に目を向けた。 

 「ジュノーにつく前に少し、買いたいものがある。メインデッキへ降りるぞ」

 ぶっきらぼうに言った割には、女は少女を気にして妙にゆっくりと歩き出す。スピーカーに目を向けていた少女も、師匠へと小走りで追いついて、その裾を小さな手でしっかりと掴んだ。

 「メインデッキは人が多いからな、はぐれるなよ」

 女は裾を掴んでいる少女の頭にポンと手を置いた。

 

***

 一人の男が居た。そして、一つの女があった。

 国境の町を越えて北へと進んだ僻地に彼の家はあった。いくつもの、物言わぬ機械と散乱した実験器具に、計算式の書き散らかされた紙の山。

 部屋は混沌としていた。

 その中に、男は白衣を着て立っていた。この狂気じみた実験室を作り上げた主こそが彼、アルケミストのバルディである。バルディはボサボサの頭をかきむしりながら、実験器具を手にその興味の対象へと向かっていた。

 こうして作業をし始めて、すでに何時間、いや何日、あるいは何週間が経過したのかすらわからない。前に寝たのは疲れ果てて意識を失った時だったし、最後に何かを口にしたのもいつだったか覚えていない。

 ただ、目の前の実験に向かうことこそが自分の生まれてきた理由だと彼は信じていた。

 信じることとは狂気に似ている。いや、同じなのかもしれない。人は誰しも何かに狂っている。狂えなくなったときに人は道を見失うのだ。

 ならば道と言うものは狂気の見せる幻覚なのかもしれない。

 彼はそんな道をはっきりと眼前に見ている者の一人であり、それ以外の道は何も見えていなかった。

 バルディの目の前には、一人の裸身の少女の姿があった。
 彼はそれを、リーエと呼んでいた。

 長い黒髪に、鋭い宝剣のように煌く目。神に特注したかのようなほっそりとした鼻と、うっすらピンク色に咲いた唇。性格こそきつそうだが美しい顔の娘だった。

 艶かしい首筋のラインを下れば、首飾りのように美しく影を落とす鎖骨。そこを下ると形良く実った双丘とその頂点に息づく二輪の薄紅色の花。

 さらに下ると・・・腹に大穴が開いていた。

 そこからは、いくつもの部品や金属フレーム、配線がはみ出しており、男はそこに道具を突っ込んだり、ネジをしめたりと、先ほどからひっきりなしに動き回っている。

 早い話が機械人形なのである。

 彼はこの界隈では有名な機械人形の技師だった。
 かつては、リヒタルゼンでキエルという名の稀代の技術者に師事した事もあったほどであり、その技術は確かなものである。いくつかの砦に配備されているガーディアンにも、バルディの編み出した技術が少なからず注ぎ込まれている。

 その彼が、リヒタルゼンでの地位を投げうって、隠者の如くに暮らして作っているのがこの少女だった。

 「あとこの配線をこっちにつないで・・・エンペリウムリアクターを・・・」

 男は誰に話し掛けるでもなく、ブツブツと言葉を紡ぎながら作業を続けている。もはや、周りのものなど何も目に入っていないのである。

 そして、その日も日は暮れていく。

 気が付けば男は疲労の限界に達し、地面に倒れていた。

 眠りつづけ、疲労が癒されると今度は、腹の虫が騒ぎはじめて男はようやく目を覚ました。

 窓から差し込む銀色の月の光が、部屋の中で機械人形「リーエ」を白く照らし出していた。バルディの技術の粋を集めて作られた人工皮膚は、月の光を受けて艶かしく光っている。

 月光を受けて深い影を帯びた娘の裸身は寒気のするほど美しいものだった。

 だが、それが美しければ美しいほど、その未完の部分が痛々しい。
 バルディはのそのそと起き上がって、ガラクタを避けながら台所へと向かった。カビのはえて食べられなくなった肉やら、野菜の切れ端やらが落ちている台所をあさり始めて数分、カラカラに渇ききった石のようなパンを見つけてバルディは噛り付いた。

 歯で削るようにパンにむさぼりつくと、あっという間にバルディは、そのパンをすっかり食べきってしまった。

 食欲が満たされると、バルディは再び幽鬼のような表情で研究室へと向かい、リーエを作る作業へとあたる。まるで、彼自身が機械人形であるかのような集中ぶりであった。

 それから、幾日かの日が過ぎた、ある日の昼下がり、研究室から狂気じみた笑い声が溢れ出してきた。

 「あはははは!出来た!出来たぞ!さあ!目覚めるんだリーエ!」

 すっかり綺麗に仕上がった機械人形は、女剣士の服をしっかりと着ており、元々の凛々しい顔つきとも相まって、とても良く似合っていた。

 リーエの指がぴくりと動き、ゆっくりと一歩を踏み出す。

 「リーエ・・・会いたかった・・・会いたかったよリーエ」

 バルディは愛しそうにその機械人形を抱きしめた。

 「起動プロセス異常無し。次の命令まで待機します」

 「行こう、リーエ!いっしょに冒険へ!」

 不健康な顔色のバルディは、ガラクタの山の中から剣を一本取り出して、壊れたように笑いながらリーエとともに研究室を出た。

 近くの草原でモンスターと対峙するリーエ。

 彼女は正確に剣を振るって、次々と敵を倒していく。

 「いいぞ!いいぞぉ!リーエ!」

 男はすっかり有頂天になっていた。
 今日に至るまでの、幾千日とも解らぬ長い長い冬のような日々は去った。男は春を心から味わっていた。

 バカらしい研究だと自分を笑った連中を見返す事が出来る。

 狂っていると言って笑った連中を黙らせる事ができる。

 「さあ!もっと行こう!リーエ!」

 男は、リーエとともに近くの火山のダンジョンへと向かう。

 強いモンスター達の中でも、機械人形リーエは確かな力を発揮した・・・のだが、やはり限界はある。幾度かの戦いでリーエは傷つき、しだいに行動に支障をきたしてくる。

 それを見極めてバルディは撤退を命じた。

 傷ついたリーエとともに家へと戻り修理をするバルディ。

 幸せな日々が続いた。
 リーエと共に狩りに行き、リーエと共に戦い。ともに敗北してしまうこともあるが、自分さえ生きていれば、リーエは何度でもよみがえることが出来る。

 終わらない幸せが続くように思えた。

 だが、人の満足とは底を知らぬもの。バルディは、やがて不満を抱き始めた。

 「リーエ・・・なぁ、リーエ。答えてくれ。私はお前の何だ?」

 「お答えします。バルディは私のマスターです」

 「リーエ・・・私はお前を愛している!私だけがお前を幸せに出来るのだ」

 「ご質問の意図が理解できません」

 リーエは淡々と答える。
 それは彼が磐石だと思って立っていた幸せの大地を割る言葉だった。

 バルディは頭に手を当ててよろよろと後ずさりした。

 これは、自分の望んでいたものではない・・・今更ながらにそれが解ってくるのである。

 リーエの姿は彼の初恋の娘に似せて作ってある。彼女は、幼い頃からの友人だったが、念願がかなって剣士になってからすぐに、彼が想いを伝えるよりも早く、流行り病で逝ってしまった。

 リーエという名前もその彼女のものなのだ。

 だが、いくら死んでしまった初恋の少女に似せて機械人形を作ろうとも、それは偽者にすぎない。その事実を認識したとたん、バルディにとってリーエはただの鉄くずにすら思えてきたのである。

 「違う・・・これは・・・違う・・・ああ、リーエ、リーエ!」

 泣き声になりかけた声で、はるか昔に失った想い人の名を呼んでも、その声は空しく空に消え、目の前には物言わぬ鉄くずだけが残っていた。

 「クスクスクス」

 誰も居ないはずの室内に、木々が揺れるような女の笑い声がした。

*** 

 振り返ると、フードを深くかぶったローブの人間が二人立っていた。
 「お師匠様・・・この人が?」

 ローブ人物の一方が言った。背はもう一人の腰ほどしかなく、声の質からもまだ年端も行かぬ少女だと容易に察することが出来た。

 「クスクスクス。そうだ。こいつだ」

 お師匠様と呼ばれたローブの人物も、その声から若い女だとわかった。
 ローブの中で緑色の目が光る。

 「な、何の用だ!」

 バルディは二人を威嚇するように声を上げた。

 ローブの少女は師匠の影に半身を隠すようにして、その裾をしっかりと掴む。

 「バカな人だ・・・。所詮、人と同じ動きができようとも、機械人形に魂は宿らぬ」

 「・・・」

 バルディは黙り込んだ。
 今まさに彼が思っていたことを、女は明確に言ってしまったのだ。だが、それを認める事は幾千日と重ねてきた研究の日々の否定に等しい。

 「ならば、魂を生み出すのみ」

 自分に言い聞かせるように彼は返答した。

 「作らずともあるのだが・・・?どうするかな」

 女は懐から一つのリンゴを取り出した。

 「何のつもりだ!リンゴ売りか?だったらリンゴを買うからとっとと帰っ」
 「これなるは知恵の実。人に知恵を与えし楽園の木の実也」

 女はバルディの言葉をさえぎって、堂々とした声と芝居がかった動きでそれを差し出した。

 「汝が作りしは鉄によるゴーレム。神が"創り"しは肉によるゴーレム。そして、ゴーレムは知恵の実を食べ、罪と共に人としての生と性を負い、楽園を失った」

 「な、何がいいたい!からかうのもたいがいにしろ!」

 カツリと女の足音が響き、大股で彼女はバルディへと詰め寄った。

 フードの中の緑色の双眸が、バルディの目を捉える。
 まさに言葉どおり視線を絡めとられて、バルディは身動き一つ出来なくなってしまった。目をそらしてしまうのが恐ろしい。だが、見つめつづけるのはもっと恐ろしい。

 バルディは何も出来ずにいた。

 「私達は・・・ルーンミドガズ王国、特別異端審問官」

 後ろの少女が少し戸惑いながらも、恐る恐る言った。

 「い、異端審問?」

 「左様。もっとももそれは便宜上の名前だ。貴方をどうにかしようという訳ではない。我らが務めは人々の救済。もし、貴方が不幸ならお救いしましょう」

 緑色の目をした女は胡散臭く笑った。

 「お救いしましょう」

 続けてそう言った後ろの少女もフードの闇に隠れた顔の中で、口元がうっすらと笑っていた。

 「救うだと!?何をするんだ」

 「貴方が望むなら、そこの機械人形の娘に魂と知恵を与えよう」

 女の言葉にバルディは黙り込んだ。
 女の目と、リーエとそして自らの手を見る。

 思えば、ずいぶんと手に皺が増えた。そういえば、自分は今何歳なのだろうか。今から魂を作る研究を始めて、はたして自分が死ぬ前にリーエは完成するのだろうか。

 バルディは両手を握り締める。

 「な、ならば・・・やってみろ!リーエに魂を与えてみろ!」

 「クスクスクス。素直になったな・・・ならば、お安い御用」

 女は待機状態のリーエへと近寄り、手に持ったリンゴをそっと胸元に当てた。そこで一瞬リンゴは止まったかに見えたが、女がそっと力を入れると、リンゴはあっという間にリーエの体の中へと吸い込まれていく。

 「な、何をした!?」

 慌ててリーエへと駆け寄るバルディを女は手で制してリーエを指差した。

 「リーエ・・・だったかな?おはよう」

 女はわざとらしくリーエに向かって挨拶をした。
 リーエの眼球が動いて女を捉え、口角が上がって笑顔を作る。

 「おはようございます?あ、あの・・・どちらさまですか?」

 リーエは戸惑いながらも一礼して、女を見つめた。

 「私か?私もこの子も、しがない宣教師だ。邪魔したな」
 「い、いえ・・・滅相もございません」

 リーエはプルプルと首を横に振り、花のように微笑んだ。

 「バルディと幸せにな」

 女は胡散臭く笑い、リーエの肩をポンと叩いた。

 「は、はいっ」

 リーエは頬をあらかめて恥ずかしそうに頷いた。バルディはその光景をただただ呆気にとられたまま、口をあけて見つめていた。

***

 それから数日後。

 バルディの家の様子は一変していた。
 あれほど散らかっていた研究室はすっかり片付き、ガラクタに埋もれていた応接セットが綺麗に配され、テーブルの上には一輪挿しが飾られている。

 汚れ放題だった窓は、綺麗に拭きあげられてレースのカーテンまで掛かっている始末。

 朝な夕なに、家からは美味しそうな料理の香りが漂い、時折バルディとリーエの笑い声すら聞こえてくる。

 魂を得たリーエと共に、バルディは人生の春を謳歌していた。
 彼はリーエを愛し、リーエもまたバルディを愛した。

 彼女には、バルディがリーエを生み出すために、どれだけの苦労をしてきたのかの記憶が全てあった。それゆえに、バルディがどれほど自分を大切に思っていてくれるかも知っていた。

 二人は、時に連れ立って冒険へと出かける。

 リーエは凛々しくも鎧をまとい、大剣をその手に握りしめる。
 バルディも魔法の宿った剣と、薬品の瓶をそろえて共に戦う。二人は、ジュノー界隈では知らぬものの居ない名物夫婦の冒険者となった。

 二人で共に戦い、共に冒険をする。
 初恋の人そっくりのリーエは、バルディに十分すぎるほどの幸せを与えてくれた。

 もっとも、初恋のリーエの性格など、バルディはすっかり忘れかけていた。最初は代用品でも良いと思って生み出した機械のリーエへと、彼は次第に惹かれて行った。

 幾度かの戦いを互いに潜り抜け、いくらかの月日を共に過ごすうちに、リーエはバルディにとって、代用品でもなんでもない世界で唯一の存在へと変わっていた。

 そんなある日、二人は少し足を伸ばして出かけたノーグロードダンジョンの第二層で、モンスターの群れに遭遇してしまった。

 体を張ってバルディを守ろうとするリーエ。

 命をかけてリーエを守ろうとするバルディ。

 激闘の中で、もう体が動かなくなるかと思いながら、もはや体が飲むことすら拒否し始めているポーションを無理矢理に飲み下し、バルディは必死で戦った。

 そして、敵を一掃したとき。

 目の前でリーエは剣を構えたまま動かなくなっていた。

 ドラゴンに腹部を食いちぎられて、内部機関が剥き出しになっている。
 バルディは自らの体がボロボロなのも省みず、リーエに駆け寄って抱き上げると、砕け散りそうなほどに痛む全身に鞭打って、必死で家まで走った。

 そして怪我の治療もせずに、家の研究設備を使ってリーエを修復する。

 助かってくれ・・・。そう願いながら、バルディは作業を続けた。
 こんな気持ちになったことは今まで一度も無かった。リーエは壊れても直るもの。それは機械として当然のことであり、壊れても壊れても大丈夫であることこそ機械のメリットであると思っていた。

 はやり病であっさりと逝った初恋の娘リーエ。
 二度と理不尽に逝かせはしないと誓って作ったリーエ。

 バルディはそのリーエを、涙を流しながら修復していた。

 そして、修理を終えて力尽きたバルディが、次に気が付いたのは真っ白なシーツのベッドの上だった。リーエの不安そうな顔が自分を覗き込んでいた。

 「バルディ!」

 目を覚ましたバルディにリーエが抱きつく。

 髪の毛がふわりと揺れ、その香りでバルディは自らが生きていることと、そしてリーエが生きていることを実感した。

 「「良かった・・・もう目覚めないかと」」

 二人は同じ言葉を同時に言って顔を見合わせ、そしてまた同時に笑った。

 バルディの怪我が癒えると二人はまた仲良く冒険へと出かける。

 だが、それこそが、バルディを苦痛のふちへと追い込んでいくとは誰も思わなかった。

***

 「お師匠様。もうすぐ冬ですね」

 飛行船の甲板の上で、少女は寒そうにローブの裾を合わせた。
 「そうだな・・・風邪など引くなよ」

 鋭く澄み渡った冷たい空を見上げて師匠の女は言った。同じように見えつつも、ローブは冬へ向けて厚手の物へと変わっている。

 「へっくし」

 少女は可愛らしく全身を動かして、小さくくしゃみをした。

 「おい、こっちへ来い」

 それを見ていた女は少女を手招きする。不思議そうに自分を見上げて歩み寄ってきた、清流のような澄んだ目の少女を、女は背中向きに抱きかかえて自分のローブで包み込んだ。

 「え?」

 「こうすりゃ暖かい。私もな」

 「はいっ」

 少女は師匠のローブのお腹のあたりから顔だけを出して嬉しそうに頷いた。
 「ところで、今日はどこへ行くのですか?」

 「バルディのところさ」

 女はその緑色の双眸で、遠い青空の彼方を見つめた。
 雲海を見下ろすように遥か高く、太陽が白い煌きで微笑んでいる。

 雲海の下には時折、南へと急ぐ渡り鳥の群れを見ることができた。冬はもう、目と鼻の先まで近づいている。

 「バルディって・・・あの人形やさんですか?」

 「そう・・・壊れていなければ良いがな・・・無理かな・・・無理だろうな・・・」

 どこか寂しげな師匠を、少女は不思議そうに見上げた。

 「壊れるって、あのリーエさんがですか?」

 「いや・・・バルディの方だ」

 そして女は黙った。
 少女もまた何も聞かなかった。

 もうじきジュノーに着くとスピーカーが告げる。少女も女も、スピーカーには一瞥もくれずに、近づいてくる大地をじっと見つめたまま動かなかった。

 「世界で一番、悲しみを負っているのは誰だと思う?」

 大地の果てを睨みつけたまま、女がつぶやいた。

 少女は首をかしげたまま、解らないと答える。

 もう、ジュノーの街が目の前に大きく広がってきていた。ここから、バルディの家までは半日も掛からない。 

***

 その感覚は鈍磨しなかった。
 不安こそ鈍磨して消え果た。信じているからである。リーエは死なないと信じている。

 だが、その感覚は鈍磨するどころか、より鋭く彼を貫くようになっていく。

 幾度となく、破損と修理を繰り返すリーエ。戦いを繰り返す限り、それは仕方の無いこと。
 バルディは彼女は死なないと信じて、何度も何度も修理を行ってきた。

 そのたびに、リーエは息を吹き返し、彼に変わらぬ微笑と安らぎを与えてくれる。

 だが、「その感覚」は鈍磨しなかった。

 傷ついたリーエを直す。
 傷ついたリーエを癒す。
 それは何のためか。それは戦うためである。

 リーエには感覚がある。
 熱湯がかかれば熱いと言うし、斬られれば痛いと言う。

 そのリーエは幾度となく戦いつづけた。

 人間ならばとうてい助からないような深手を負った事も一度や二度では無かったが、その度にバルディは彼女を修復してきた。

 そして、その度に「その感覚」が、彼の心を貫く。

 リーエが微笑むたびに、リーエが苦しむたび、リーエが笑うたび、リーエが泣くたびに。

 「その感覚」は彼を苛む。

 幾度となく死ぬリーエ。
 幾度となく生き返すバルディ。

 二人が暮らしていくには、冒険しかない。

 不思議と、戦いを止めるという選択肢は思い浮かばなかった。それはやはり、どこかバルディの中にリーエは剣士であり共に冒険するものだと言う、過去の亡霊がいたからかもしれない。

 『自分は、何度も死の苦しみを与えるためにリーエを直している。』

 冒険に出かけ、攻撃を受けて苦痛にゆがむリーエの美しい顔。
 その度に、バルディの心は激しく痛んだ。

 リーエが壊れるたびに、バルディの心も壊れそうな程に締め付けられた。

 ある日、戦いへとでかけたリーエとバルディ。
 致命傷を負ったリーエは、その倒れ際に駆け寄ったバルディに小さくつぶやいた。

 「もし私が人間なら・・・ここでお別れなのでしょうね」

 その言葉はバルディの心に杭となって突き刺さった。
 それは、リーエの悲鳴のように聞こえた。

 もし、終わりの無い物語があったら、そこに何か意味はあるのだろうか。バルディは永劫の時を想う。命すら消え果る遠い星の果て。

 それでもリーエは生き続けられる。修理されつづける限り、彼女は終わらない。

 自宅の研究室で、バルディは壊れたリーエを修理台へと乗せたまま黙り込んでいた。

 幾度となく、リーエが死ぬ悲しみを味わい、幾度となくリーエを蘇らせてきた。
 リーエ、リーエ、リーエ、リーエ、リーエ、リーエ。

 眠ったままのリーエに呼びかける。

 人間なら、ここでお別れなのでしょうね。

 リーエの言葉を、バルディは小さく口の中でつぶやいた。その言葉は、呪わしき毒のように全身を駆け巡る。

 私はリーエを愛している。
 リーエも私を愛している。

 だから私は・・・。

 何かが心の中ではじけた。

***

 鉄を叩きつける鈍い音。

 配線を引きちぎる弾けるような音。

 叩きつける音。

 叩き割る音。

 「リーエ!愛している・・・愛しているよリーエ!」

 狂ったような男の声。
 家の外まで響いてくるその声を、二人の人間が聞いていた。フードのついた黒いローブの女と、同じ格好の小さな少女。

 「お師匠様・・・怖い」

 少女は師匠の手を掴んだ。

 「大丈夫だ・・・」

 女も少女の手をそっと握り返す。壊れそうなほどに小さな手は、冬の近づいた冷たい風に吹かれて、すっかり冷え切っていた。

 引き千切る音。

 叩きつける音。

 砕け散る音。

 叩き割る音。

 弾ける音。

 叩く音。

 叩く音。

 叩く音。

 そして、沈黙。

 ローブの奥で女は目を細めた。

 どさりと、何かが崩れ落ちる音。

 女は家のドアに手をかけ、ゆっくりと力を込めてドアを押した。

 ドアのきしむ音。

 二人の足音。

 二人は、その部屋へと踏み込んだ。
 粉々に打ち砕かれたリーエがそこにあった。そして、その横で自らの喉に詰まったアダムのリンゴ(喉仏)にナイフを突き立てて自害しているバルディの死体があった。

 少女は顔を曇らせた。
 ローブの奥で、清流のように透き通った目が揺れている。

 「お師匠様・・・」

 「やはり、耐えられなかったか」

 女は、人形の残骸の中に手を突っ込み、その中からリンゴを一つ取り出す。真っ赤に熟れたリンゴは、持ち上げると甘い香りがした。

 「どうして・・・幸せそうだったのに」

 少女は不思議そうに首をかしげた。

 「世界で一番悲しみを負っているのは誰だかわかるか?」

 女に問われて、少女は首を横に振った。

 「神様だ。毎日毎日、幾人もの自分の子供が死んで行くのだからな・・・そしてまた、毎日毎日、死ぬために自分の子供が生まれてくるのだからな」

 少女は黙った。

 女は緑色の双眸で絶命したバルディを見つめる。彼の目には涙が浮かんでいたが、その口元は笑っており、どことなく、幸せそうな表情にも見える。

 「耐えられなかったのだろうな・・・愛する者に、終わり無き苦しみを与えつづける自分という存在が」

 女はリンゴを見つめて悲しげにつぶやいた。

 バルディはリーエを殺して、自らの命にも幕を下ろした。
 耐えられなかったのだろう。愛するものを無限に苦しませると言う自分の行為が。

 そして、永遠に続く物語に彼は意味を見出せなかったのだろう。

 それ故、彼は愛する人を殺して、自分その後を追った。
 それが救いに思えたのだろう。リーエにとっても、自分にとっても。

 そして、致命傷を負ったリーエを、生き返さない事によって、リーエは本当に人間になれたのかもしれない。

 生命を人が自ら創り出す事が罪だと女は思っていなかった。そんな事、神は一言も禁じていない。勝手に人々が、それは神の仕事だと思い込んでいるに過ぎない。

 だが、神はやはり偉大なのだ。

 生命を創るということは、その先にある果てしない悲しみを抱き続けなければならないという事でもある。

 果てること無き、永遠に続く逆縁の悲しみの中に神は立ちつづけている。
 人は自分より年をとった子を産むことはない。それは、神がくれた慈悲なのかもしれない。せめて、自分の生んだ命の死に際を見なくて済むようにと、神が気を使ってくれたのかもしれない。

 「行こう・・・ここにはもう、用は無い」

 女は静かに告げた。

***

 冬の近づくシュバルツバルドの大地を覆う、砂の舞い上がる荒野。
 轟々と炎を上げて燃え上がる小屋を振り返ろうともせずに、二人が歩いていく。

 互いに真っ黒なローブを身につけた女と少女。

 片手でリンゴをもてあそびながら女が呟く。

 「柄にも無く、期待していたんだがな」

 「何にですか?」

 少女が不思議そうに問い掛ける。

 「いや、何となくな・・・もしかしたら、上手く行くかもしれぬとも思っていたが・・・私が甘かったようだな。人は、死ぬことによってのみ、人になり得るのかもしれない。だから・・・ひょっとしたら、リーエを殺して人間として死なせてやるのが、バルディなりの愛だったのかもしれぬな」

 女は手にもっていたリンゴをかじった。

 「ふん・・・」

 「お、お師匠様・・・それ、知恵の実」

 少女は目を丸くして、その真っ赤なリンゴを見た。

 「ん?バカ言うな。これは本当に単なるリンゴだ。前に飛行船の中で買ったものだ。ほら、お前も食べてみろ」

 手渡されたリンゴを不信そうにしげしげと見つめてから、少女は恐る恐る噛り付いた。
 そして、その美しい瞳をキョロキョロとさせながら不思議そうにその果肉を味わい、納得したように頷く。

 「ほんとだ・・・って、良く考えたら私、知恵の実の味なんて知らないですけどね」

 少女は自分が噛り付いてできた、真っ赤なリンゴの白く欠けた部分をしげしげと見つめた。その隣に、師匠の齧った一回り大きい跡がついている。

 「なんだか、こんなに真っ赤なのに、随分と酸っぱいですね」

 「腐っちゃいないぞ・・・時間の流れからは隔絶されていたからな・・・それが、愛の味ってやつだ。きっと」

 少女はもう一度しげしげとリンゴを見つめてから、かじりついて、その瑞々しい果肉をシャキシャキと噛み砕いた。

 こんなにも甘そうに、真っ赤に熟れているのに、やっぱり妙に酸っぱかった。けれど、その酸っぱさが心地よくも感じられた。