-枕かへしの見る夢-
純粋の透明

「我が烝民を立つるは、爾の極に匪ずというこなし。」列子

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 郊外の閑静な修道院は、その創立から現在にいたるまでの長き時の流れの中でも、まれに見る大量の人の出入りに見舞われていた。

 たった一つ、開かれた大きな両開きの扉を、プリーストの服装をした人間や、かつてのクルセイダーの服装の人間たちが忙しく出入りをしている。

「早馬で知らせを入れて半刻か・・・。なかなか優秀だな。」
 その集団を修道院の外から見つめて、レイホウは満足げに頷いた。

 修道院長のフェリクスの死体が見つかってから、半刻。
 一日の業務を終えて、今日も事務的とも思えるほどの正確さで地平線へと回帰する太陽が、尾を引くようにつれてくる夜の帳。それに包まれるのを拒否するかのように、修道院の周りには特設のトーチがいくつも立てられ、さながら堅牢な要塞のような威容を煌々と浮かび上がらせている。

「大聖堂の職員と・・・プロンテラ軍の治安維持部隊・・・。なかなか、出動に関しては優秀ですね。」
フォルミスもまた、その忙しく動き回る人間たちを目で追ってうなずいた。

 現在、殺人現場の保存と調査のために、プロンテラ帝国軍治安維持部隊と、プロンテラ大聖堂職員がこの修道院へと終結していた。

「逢魔が刻・・・ですね。」
フォルミスは赤から紫、青を経て濃い藍色へとグラデーションする空を見つめてつぶやいた。

「おおまがとき?」
 傍で聞いていたレイホウは首をかしげて聞き返しつつ、フォルミスの視線の先を追って、空を見つめた。
 すでに暗くなりかけた空に浮かんだ雲が、下から夕日に照らされて、まるで闇に浮かんだ血痕のように赤く浮き上がっている。

「ええ、レイホウさんにわかるように言うと・・・Time to meet with an evil spirit.・・・ってトコですかね。」
「余計に解らぬ。」

にこやかに、そして楽しそうに説明するフォルミスを横目でちらりと見て、レイホウも少しだけ苦笑してから、いつもどおり不機嫌そうに顔をしかめた。

 普通の人間なら、そんな彼女の顔を見て会話を続けるのが怖くなってしまうところだが、フォルミスは最近そんなレイホウの顔が、なんとなく解ってきて、たとえば今は興味を示している・・・という気がしていた。

「それで?」

 言葉を地面にぽとりと投げ捨てるようなレイホウの問いかけを受けて、フォルミスの顔はにわかにほころんだ。
 自分の予想通りだ。

「夕刻、この時間帯。鬼たちの住む世界と、我々人間の住む世界が交わり・・・子鬼や幽霊が、この地上で舞い遊ぶ・・・という時間ですね。」

「天津という国は・・・面白いところだな。きっと、鬼や霊のあふれる、にぎやかな土地だろう?」

 遠くで遊んでいた子供たちが家路につき、なにやら歌いながら歩いていく声が遠くから風に乗って聞こえてくる。
 数年前までは願おうとも、かなわなかった日々が、この世界を満たしているのが感じられた。

「鬼たちは・・・人とともに暮らしてきました。人は鬼を畏れ、鬼は人を畏れ。子供は子鬼と遊び、学び・・・。我々は生きてきました。私たちの国では・・・魔と悪はイコールの関係ではないのです。魔はあくまで、その種族的なものであり・・・悪というのはまったく別の概念です。」

「鬼・・・か。」

「お話中恐れ入ります!」

 フォルミスとレイホウが夕日を見ながら話しているところに割り込んできたのは、相変わらずの無骨な顔立ちをした、筋肉質の初老のプリーストだった。

 ボルツマン司教補。レイホウの懐刀ともいえる側近の一人のこの男は、いつでも怒っているようなレイホウとは対照的に、いつでも余裕を持っているような笑みを浮かべているが、ゴブリンだって泣き出すような強面のせいもあって、その笑顔は余計に凶暴なイメージをかきたてている。

「内部の調査及び、関係者への聞き込みがほぼ完了いたしました。」
「ふむ。状況は?」
「はい。修道院内の窓は全て内側から施錠されており、窓などからの侵入の形跡はありません・・・・・が。なにぶん、修道院の正門はいつも全開ですから、堂々とそこから入って犯行を行ったという線が濃厚です。」
「ふぅむ。堂々と・・・か。」

 レイホウは指を口許に当てて、唇を何度かなでつけた。
 いつも、考え事をしていると無意識のうちにこの姿勢になる。なぜだか、どんな意味があってこういう動きをするようになったのかすら、もう覚えては居ないが・・・ひょっとしたら、唇を優しく撫でて機嫌をとって、ひらめきの言葉をつむぎだしでもしないかと思っているのかもしれない。

「外部か・・・例の血文字は?神罰・・・ってヤツだ。」
「それに関しても調査中ですが・・・。もし、被害者のフェリクス修道院長と全く面識のない人間が犯人であるとするならば・・・そうした文字を書くことによって、我々の眼を、関係者に向けさせて欺こうという考えを疑うことも出来ます。が、ストレートに怨恨という線も考えられますし、裏を考えればキリがありません。」

 夕日がその最期のきらめきを、大地の衣に隠して、急にあたりが暗くなっていくのと同調して、ボルツマンの強面に入った陰影が一層深くなる。

「外部・・・か。ボルツマン。フェリクスが死んだ時間の予想などは・・・つくか?」
「解りません・・・」
「解ります。」

 ボルツマンの否定と、突然割って入ってきたフォルミスの肯定が重なって妙な音を生み出す。
 一瞬、誰が肯定して、誰が否定したのか解らなくなりかけたが、なんとか頭の中で整理をして、レイホウはフォルミスへと向き直った。

「死んだ時間がわかる・・・と?」
「はい。精密では有りませんが。私の見る限り、あの死体は・・・あまり時間は経過していないように思われます。これは、アルケミスト関係の本で読んだのですが・・・人間と言うものは、死んだ瞬間というのは体の細胞は生きています。人間としては死んでいても、腕自体はまだまだ元気だったり・・・などがあるわけですが、当然心臓が止まり、エネルギーが供給されなくなりますので細胞死も時間の問題です。自我の消滅としての人間の死のと、体全体の物理的な死には若干のタイムラグがあるのです。あくまで、素人見解ですが、彼の殺された時刻はレイホウ様があそこに監禁されていたのと、大差無い…恐らく、皆が二階に上がってきている時間帯かと思います。それ以外に、物理的に可能な方法がありません。」
「道理だな…。しかし、そうなるとだ…外部からわざわざフェリクスを持ってきて、私が助け出されたあとに同じ部屋に叩き込んで殺した…ということになるな。あまりに、奇妙だ。」

 レイホウはため息をついて、既に藍色に染まった空を見上げた。遥か東を見れば、既に空は闇に染まっていて、だんだんと頭上に向けて藍色になってきて、そして西の地平線にも既に太陽は見えなくなっていたが、かすかに赤い。
 どこからが黒で、どこからが藍色なのか。
 空を見上げて事件の奇妙さを思う。境界がまったくこの空のように不鮮明なのが、レイホウにとって最も気持ち悪い点だった。
 どこまでが、自分の監禁されていた事件で、どこまでがこの殺人事件か。同じ部屋で立て続けに起こった二つの犯行と不合理な事実。

 物理的に成し遂げようとしたときのスケジュールは極端に厳しくなるだろう。

「解らぬな…何もかもが。」

「調査のほうはまだ時間がかかります。それに、まだ危険があるかもしれませんので、あとの調査は我々が行いますから、レイホウ様は一旦大聖堂にお戻りになってはいかがですか?ちょうど、馬車も手配してありますので。」

 ボルツマンは触ったら岩みたいに硬そうに見える顔の皮膚を、恐らく精一杯に柔和な方向に動かして笑顔を作り出した。

「そうか、すまぬな。私もまだ、頭がすこしフラフラするし、先に聖堂に戻らせてもらおう。その代わり、調査報告を逐次わたしに回せ。」
「かしこまりました。では、馬車を連れてまいりますので、しばしお待ちを…。」

 彼は巨体ながらも、まったく振動やら無駄な動きを感じさせない動きで駆け出していった。

「丁寧な方ですね。」
「ああ。優秀だ。昔はそうとうワルだったらしいがな。」
「へぇ。なんだか格好いいですね。ちょっと、修道院の周りを歩いてみませんか?何か見つかるかも。」
「ふむ…そうだな。」

 レイホウはフォルミスの提案を受け入れて、ゆっくりと歩き始めたが、まだ若干頭の奥で蟲が這いずり回っているような、微妙な鈍痛と平衡感覚の揺らぎが残っていて、少しだけ歩き始めたことを後悔していた。

 春とはいえ、この時間帯になるとまだ風は冷たい。吹き付けた一陣の風にレイホウは身を揺すった。

「ちっ。少し寒いな。」
「そうですねぇ。昼間は暖かいから困っちゃいますね。春は昼間は過ごしやすいですけど、夜はちょっと考えものですね。」

 もうすっかり日の暮れた闇の中で、ゆらゆらと揺れるトーチの灯りに照らされて、不定な形でゆらめく影をひきずって二人は境界の周りを歩く。

 真っ赤な光に染められて、レイホウの白い服がオレンジ色に浮かび上がり、逆側の陰になるほうでは暗い陰影がその勢力を誇示している。

 この不思議な色彩が、なんだか夢の中に迷い込んだような不思議な感覚をつむぎだしていた。

「おや…?花畑か…。」
「そのようですね。」

 目の前に見える真っ赤な花が、赤い炎に照らされて、より一層不気味に浮かび上がっている。

「あぁ…確かに美しいが、腹が減った。」
 しかめっ面で花畑を睨みつけたまま、呟いたレイホウを見て、フォルミスはクスクスと無邪気に笑った。自分を見て笑う人間など、およそ今までの人生では思いつかなかっただけに、こうして笑ってくれるフォルミスを不思議とありがたいと思う。

「あは。レイホウ様。アマツにこんな諺があります。花より団子。綺麗な花よりも、食べものが良いって。それを地でいってますね。」
「生憎、視覚情報で空腹を満たすような特殊な眼球を持っていないのでね。」
「あ、馬車が来たみたいですね。私もお腹減ったし、戻りましょうか。」

 レイホウは環頭太刀みたいに口の端をニヤリと曲げて頷くと、踵を返して馬車へと向かった。
 二人が馬車に乗り込むと、馬車は夜風を切って走り出し、一気にプロンテラへと向かっていく。暗闇の中で、燦燦と輝く街灯や、街の灯に照らし上げられたこの都市の輪郭がまるで、夜から切り取られたように浮き上がっていた。

「ここ一年で、随分と発展したものだ…。」
プロンテラに近づくにつれて活気の増してくる町並みを見つめてレイホウは呟いた。

「そうですね…。新しい時代、新しい機械に新しい産業。これからのプロンテラが楽しみです。」
 フォルミスは風で煽られた髪の毛を手で抑えた。先ほどまでは、闇の中に溶け込むようだった彼女の漆黒の髪の毛は、街の明かりの中では異邦人のように、闇を切り取ったような黒で世界から浮かび上がっている。

「さて、すっかり夕食時だが、今夜はどうしたものかな…。」
「そうですね、美味しい店があるのですが一緒にいらっしゃいませんか?」
「ほぅ。悪くないな。」
「ええ、アマツの料理なのですが、美味しいですよ。それに、疲れたときに最適です。」
「それは良い。では、そこに行くことにするか。」
「はい解りました。では、御者さん、ちょっと良いです?東門からプロンテラに入って、環状の大通りを左に入ってください。それで、道が右に折れる手前あたりで下ろしていただけますか?」

 フォルミスの言葉に御者は愛想よく返事をして、馬を走らせる。目の前にプロンテラの東門が迫ってくると、いよいよ街の明るさだけでなく、音も人並みも極まってきて、馬車は速度を落として門を通過した。

 光に照らし出された大通りには、今日も人々が満ち満ちている。まるで、笑顔の展示即売会とでも言うかのように町に溢れた人々の笑顔を見ていると、フォルミスは多くの犠牲を払っただけの価値が、革命にはあったと思えてきた。

 目的の場所につくと、馬車は徐々に速度を落として停車した。
 多少寒くはあったが、軽快に流れていっていた風のリズムに別れを告げて、二人が地面に降り立つと、馬車馬たちは気合でも入れるかのように一回いなないて、再び走り出した。

「この奥にあるんです。」

 薄暗くて、この先に気軽に地獄でも待っているのではないかというような、少し不気味な通りを進むと、煙に乗って食欲をそそる香りが流れてくるのが解った。

 その煙の元の建物の前でフォルミスは立ち止まると、簡素な引き戸を開けて店の中に入った。

「へいらっしゃーい!」

 フォルミスに続いてレイホウが店に入ると、決して広くは無い店の中にはカウンターの席と、アマツ式の座敷の席が三つほど並んでいて、彼女らが案内された座敷以外は全て客で埋まっていた。
 こんなうらびれた場所にある割には、随分と儲かっているのが容易にわかる。

「ここは、何の店かな。」
 レイホウはキョロキョロと店の中を見回してみたが、アマツの調度品がいくつも置いてあり、店の作りもアマツ式なため、ここだけプロンテラから切り離された別の世界みたいに感じられた。

「えっと、うなぎやさんです。うなぎって…ごぞんじですか?」
「名前と姿くらいはな…。海蛇みたいなもんだろう?」
「若干の違いは有りますが、まあそのようなものです。美味しいですよ。ここのご主人さんは、元々はアマツのうちの近くのうなぎやさんで働いていらっしゃったのですが、のれん分けを期にプロンテラに移住してきたんです。」

 確かに、そう言われて店内を見渡してみると、フォルミスのようなアマツ系の人間もちらほらと見受けられるようだが、圧倒的に客の大部分はプロンテラ市民だと解る。
 どうやら異国の地でも無事にうなぎとやらは受け入れられたのだろう。自分はまだ味すら知らないが、座敷やカウンターに陳列された幸せそうな同郷人の笑顔が充分すぎるほどに味を物語っている。

 が、彼らの口もと、手元を見てレイホウの額に汗の粒が浮かんだのは、狭い室内で炭火を起こしているせいだけではなかった。

「フォルミス…あー…その…なんだ。」
「どうしました?」
「あの…棒を二本用いて、食すわけだな…。」
「え?お箸です?」
「そう、そう言うのか。そのハシだが…。」
「ひょっとして…使えませんか?」

 レイホウは自分の全身がラジエータになったみたいに熱を吐き出しているのを感じた。同郷人たちは、多少危なっかしい手つきだが、そのハシを使って上手く食べてはいるがレイホウはその食器自体を見るのが初めてだった…。

 だが、岩壁のようなプライドが押し寄せるハシの不安の波を打ち砕き、彼女はその一言がいえない。使えない。と、タダ一言、言ってしまえば楽になれるというのに、彼女は顔を真っ赤にして下を見つめてうつむいたまま、タダ一言うなる。

「う…うむ。神の御心のままに…。」
「へ?お箸と神様に何か関係が。」

 フォルミスは予期しない返答にちょっと驚いたものの、レイホウの表情と行動を察して、すぐにその内心を見透かしてしまった。
 どんなに白い布のように表面に何もないように装っても、レイホウは元々感情を隠すのが得意ではないだけに、スクリーンの裏側から強烈に映像を投射しているかのように、表面の白い布には彼女の心がありありと映る。
 フォルミスはそのことを見抜いていた。

「レイホウさん。あの…最初はみなさん使えませんから…。それに、言えばスプーンもありますし。」
「かまわん。」

 一度誤魔化した手前、あとには退けぬとレイホウはそのまま箸を使うことを決意した。こうなったら彼女はテコでも動かないのをフォルミスは知っている。

 箸を睨みつけたまま固まったレイホウを見つめて苦笑していると、まもなく頼んだうな重が運ばれてきた。
 レイホウはまるで、これからMVPボスにでも挑むかというような顔になって、うなぎと箸を睨みつけている。

 自分がうなぎや箸だったら、全速力でその場から逃げたくなるだろうと思うほどの殺気をフォルミスはピリピリと感じていた。

 レイホウは指をプルプルさせつつも、何とか箸を固定すると、うなぎを食べにかかるが、箸は脱落したりすれ違ったり、なかなかうまくいかない。

「え…えっと…こう…です。」

 フォルミスはなれた手さばきで自分の箸をつかむと、うなじゅうのすみのほうから、ご飯とうなぎを一塊持ち上げて口に運んだ。

 レイホウも何とかそれを真似て食べようとするものの、箸は空しく空をかいてカチャカチャと音を立てるばかりで、食べられそうな気配はない。

「ふぅ…もぅ、意地っ張りですね。」

 フォルミスは自分でも凄い度胸だと拍手を送りたくなる発言とともに、席から立ち上がってレイホウの背中側に座った。

「こう…です。」

 背中から抱きつくように腕を回して手をつかむと、レイホウの指を誘導するように自分の手を箸に添える。

「こ、こら、息で首筋がくすぐったい…や、やめろって!」
「ちょっとの辛抱ですから…。ふぅっ」
「ひゃっ!」

 あまりに意地を張るものだから、フォルミスも少し仕返ししてやろうと思って、首筋に息を吹きかけてやった。
 そしてそのまま、抱きかぶさるように自分の頭をレイホウの左肩に乗せて正面を見つつ、右腕で彼女の手と箸を正しい動きへと誘導する。
「こうして…こう。」
「う…うむ。」

 ぷるぷるとつたない動きながらもレイホウの箸は目標を捕らえた。

「はい、あーん。」
「こ、こら恥かしいだろう…。」
「でも、こうしないと食べられませんよ。」
「あとで覚えていろ…。」
「ええ、よく覚えておきます。」

 フォルミスはにっこり微笑むと、そのまま箸をレイホウの顔に近づける。
 戸惑いながらも、小さく口を開けて箸でつかんだうなぎとご飯をレイホウは口の中へとやっと運び込んだ。

「美味しいでしょう?」
「う…うむ。」
「と、まぁ、こんな感じです。今の動きを覚えてくださいね。」

 フォルミスが背中から離れて自分の席へと戻ると、レイホウはやっと冷静さを取り戻して、室内の妙な空気に気が付いた。
 店内の客が、ニヤニヤしながらこちらを見たり、ひそひそ話しているという状況で、彼女は顔から火が出るかと思ったが、フォルミスのほうはといえば、火とは対照的にまるで水のように穏やかに、気にしている様子すらない。

 だが、勘だけは人より優れているレイホウだけあって、彼女はフォルミスが誘導した動きをすぐに体で覚えて、それからはもう多少のミスはありつつも、人並みに箸を使えるようになっていた。

 こうして、緊張がほぐれてくると、うなぎの味がだんだんわかってくる。
 焦げたたれの香ばしさや、ふっくらとした身とご飯。それらが渾然一体となった中に、鼻の中に一筋抜けるような山椒の香りが心地よい。

 結局、空腹も手伝って、レイホウもフォルミスもあっという間に食べ終わってしまった。
 食後のお茶を飲んで一息つくと、箸の呪縛からも解き放たれて、先ほどの事件の不思議さが再び心の中で湧き上がってきた。

「ふぅ…また、厄介なことになったもんだ。何が何だか、皆目見当がつかない。」
 お茶を一口飲んでレイホウはお手上げといたふうにため息をついた。
「そうですね。ですが、一応今あるだけの情報から、ある程度の判断は可能でしょう。」
「そうだな。確認をしてみるのは悪くは無い。」
「ええ。物理的な要素だけでも…。」
 フォルミスはそう言うと目をつぶってしまったが、これは彼女なりの思案の姿勢だった。目を開けていると嫌がおうにも入ってきてしまう視覚情報を遮断して、思考の精度を上げるためだ。

「まず、状況を確認しましょう。当時、私はエウフラシアさんに修道院内を案内して頂いていて、いくつかの薬に関するお話を伺っていました。その時点で、レイホウ様に追い払われたトゥリビオ副修道院長もこちらにいらっしゃっておりました。そのとき、レイホウ様は…」


「マルコに会った。そしてヤツが階段に登って見えなくなったところで、私は背後から誰かにぶん殴られて、意識を失った。これがまず、第一の事件だな。」


「それは、誰が行ったのでしょうか。修道院内には他に人間は居ませんから、外部犯ということになるかもしれません。そして、そのままレイホウ様は告解室に閉じ込められたと…。偶然、マルコさんが通りかかって誰か相談に来ていらっしゃると思い、告解室に入ってきて…レイホウ様に気付かれたというわけですね。これも問題ですが、不思議なのはここからで…レイホウ様を助け出して、マルコさんは二階へ上がった。知らせを聞いて、我々全員があの部屋にいました。その後、私とエウフラシアさんとトゥリビオ副修道院長とで、レイホウ様の倒れていた場所を見に行くと…そこに死体があった。朝から姿の見えなかった、フェリクス修道院長ですね。そして…神罰の文字。」

「不可解だ、物理的に不可能ではないか。」
 レイホウは少し苛立ちつつも、お茶を一口飲んで落ち着こうとつとめた。

「確かに、不可解です…物理的に可能な条件を考えて、仮説のモデルを構築しようにも、可能なパターンは外部犯以外にありえません。そうすると、神罰の文字は内部に目を向けさせるためのもので、犯人は全くの他人というパターンですね。修道院の窓は全て閉まっていましたが、入り口はいつも解放していますから、いくらでも可能です。」
「うむ…現在だとそれが有力か…。だがな、フォルミス。もし外部犯行で、そこまで手の込んだことをしようというのならば…なぜあんな殺し方をしたのだ。本当に内部に目を向けさせたいならば、外部犯と考えざるを得ないような殺し方はしないだろう?」

「でもそれは、犯人にとって全員がレイホウ様のいるベッドに集まってアリバイの無い人間が居ないという状態がイレギュラーだったということも考えられます。」
「どちらにしろ…判断条件が曖昧すぎるな。裏の裏の裏をかくような議論は無意味だ。」
「そうですね…。仮定の下の仮定のさらに仮定ですからね。とりあえず、現在確実なことは…あの場にいた人間では、物理的に実行不可能だということです。」

「いや・・・一つだけ物理的に可能な方法はある・・・。」

 意地悪な笑みを浮かべつつ、レイホウは湯気の立ち上るお茶を一口飲んだ。

「あります・・・か?」
 不思議そうに聞き返すフォルミスを相変わらず、意地悪な笑顔で見つめ返す。

「まず・・・最初の犯行は。フォルミスがやった。お前がエウフラシアとトゥリビオとグルになるんだ。そして、皆で薬について学びにいったふりをして、私が油断しているところを一閃。気絶した私を告解室にぶち込んで、適当にマルコがそちらに行くように仕向けて発見させる。そして、そのあと私がベッドで意識を取り戻した後、告解室を見に行ったのはお前とエウフラシアとトゥリビオだ。あらかじめ、拘束しておいたフェリクス修道院長を殺害して、あの部屋に投げ込み、悲鳴をあげる。実に簡単だ。」

「私が、事前に彼らと連絡をとっていたことを確認できるならば・・・有力ですね。少なくとも、物理的な障害はそれで説明がつきます。ですが、問題は動機・・・ですね。」

「動機?動機がそんなに大切か?人間なんて不思議なものさ。殺すときは理由などなくても殺す。逆に、どんなに憎くて殺したいヤツがいても、殺さないときは殺さない。動機なんてものは、納得するための精神安定剤だ。」

「確かに・・・そうかもしれませんね。」
 フォルミスは彼女にしては珍しい複雑な笑顔を作りながらお茶を喉に流し込んだ。
 喉の奥に詰まっていつまでも出てこない問題解決のアイデアも、お茶で潤せば滑り出してこないかと思いつつ、お茶を注ぎ込んでみたものの、それは相変わらず姿すら見せない。

「ま・・・お前がグルというのは、スポーツで言うなら反則みたいな理論だからな・・・。それは無いだろう。やはり・・・外部か内部かを断定するところから始めないとならぬな。」

 レイホウは残ってぬるくなったお茶を一息に飲み干した。
 内部犯行だと断定できるような証拠でもあれば楽だと思っていたが、発生した事件をシーケンシャルに整理していってみると、さきほどのように物理的に不可能と言う結論に辿り着く。もっとも、フォルミス達がグルだという場合を除けばだだが。

 つまりこれは、外部犯行だということだろう。
 今回の事件は内部犯行だという命題を、物理的な条件を元に証明していくと、その解は矛盾する。つまり、背理法で言えば、内部犯行ではないということを証明したことになる。

 外部となれば、可能性の枝葉はそれこそ無限大に広がって、操作の方針も変わってくる。神経をすり減らして謎を解く頭脳労働から、靴をすり減らして犯人を探す肉体労働となるだろう。

「まったく・・・埒があかぬ。まぁ、今日はボルツマンたちが関係者に話を聞いておるし、明日には他の情報も入ってくるだろう。今日はもう帰るとするか。」

「はい。そうしましょう。」

 二人はそれぞれ代金を払うと、座敷から立ち上がった。
 なれない座り方だったせいで、立ち上がるとレイホウは背骨をボキボキと鳴らす。あくまで感覚的なものだろうが、鬱屈していた骨が開放されるようなカタルシスがある音だ。

「オヤジ、なかなか美味かった。」
 汗をかきながら調理場に立っている店の主に、レイホウはどうしても花が咲くような、とか涼風のようなとかいう形容の似合わない笑みを浮かべて言った。

「あいよー。ありがとよう。フォルミスちゃんもまたよろしくなー。」
「ええ、こちらこそ。」

 こちらは正真正銘、涼風のようなさっぱりとした笑顔で返事をして、二人は店を後にした。

 熱気の篭っていた店から出ると、程よく冷えた街の空気が食後のお茶のように気持ちをサッパリと流してくれる。
 真っ暗な空の中で月明かりに照らされた雲が、ささくれだった皮膚みたいに白く浮かび上がっていた。

「時にフォルミス。宿はどうしているのだ?」
「ええ、ご心配なく。宿のほうはとってありますので。ここのすぐ裏なんです。」
「そうか。ならば良いな。気をつけて帰れ。」
「それはこちらのセリフですよ。お気をつけて。」
「うむ。まぁ、私は恐らく聖堂におるから、用があっても無くても、いつでも来るがよい。事件の経過を知らずにいれるほど、お前は大人しくないだろう?」
「あはは。厳しいですね。でも、正解です。お邪魔させていただきますね。では。」

 手を振るフォルミスにレイホウは軽く手をふりかえして、そのまま長い法衣のすそをバサっと翻して歩き始めた。

 白い月影の元で、真っ白な法衣がより一層、闇に映えていた。

 大通りに出て大聖堂へと向かう。かつて、革命を叫ぶ暴徒と化した国民達が歩いた道も、今では同じ顔ぶれが笑顔で歩いている。

 時刻も時刻で、千鳥足の男やら、大声で歌を歌っている酔っ払いの集団の声が街の遠くで跳ね返って、ここまで届いてくる。

 無法で野蛮と思えるそれらの声が、不思議と平和を感じさせてくれた。

 少し暗い・・・こんなときは。
 レイホウは目を瞑って意識を集中し、小さく口許を動かした。

「ルアフっ」

 闇に小さく響いた声は、圧倒的な密度の闇と空気の中に溶け込んで拡散して、やがて消えた。

 かつては、意識とともに指先に収束し、言霊とともに形をなした魔法の源たる精。それらはこの地上から姿を消した。
 かわりに地上に覇を築いたのは、科学だった。
 水の沸騰する力で鉄の獣が大地を走り、火の力で鉄の弾が人を貫く。そんな時代がプロンテラに訪れていた。

 宵闇に溶け込みそうな自分の指先を見つめつつ、レイホウは大聖堂に向かって歩く。コツコツと石畳と綿九字分の足音が、乾いた闇に反射して、楽しげなリズムのように聞こえた。

 もう随分な時間であるせいもあって、大聖堂は静まり返っていた。
 既に施錠をしていたが、総責任者であるレイホウは懐から鍵束を取り出して開錠して、大聖堂の中へと入った。

 中では薄暗い闇に溶け込むように、ぼんやりとした光がいくつか灯っている。
 せっかくの荘厳な天井画も闇の中に埋もれて、いくつかの人間の輪郭が見えるだけで、彼女らの主は影すら見えない。

 石造りの回廊を抜けて、自分の執務室に戻り、柱時計を見てみると、既に時刻は夜の11時を回っていた。

 数日にも感じられた長い一日がやっと終わると言う安心感と、慣れ親しんだ自分の部屋が眠気を誘う。

「失礼いたします。」
 ノックをして小柄なアコライトの少女が入ってきた。
 声が気に入って、半年ほど前から気に入って自分の世話係にレイホウが任命した少女だった。

「お湯のほうの準備ができております。」
 少女はレイホウお気に入りの木管楽器のような、柔らかさのある声で告げた。

「ほう。準備が良いな。エンプティ。誰の差し金だ?」
「ボルツマン司教補がお出かけになられる際に、レイホウ様はお疲れで帰るだろうからすぐにも用意をしておけとおっしゃいましたので。」

 エンプティと呼ばれた少女はレイホウの目線を正面から受け止めて、少しも角度をずらそうともしない目で見つめ返して言った。

 レイホウがこのエンプティを気に入った理由は確かに彼女の声も大きかったが、何よりこの態度が気に入ったというのもあった。

 目を見て話すことは別に悪いことでも何でもないし、むしろ推奨されるべきことだというのに、聖堂にいる殆どの人間は自分と話すとき、少なからず視線のベクトルをずらす。

 垂直に視線にぶつかってくるのではなく、ほんの2度・3度と角度を変えて力を逃がすように自分と相対するのだ。

 気持ちは解らないでもなかったが、彼女はあまりそれが好きではなかった。
 だがこの、入りたてのアコライトの少女は物腰こそ柔らかいものの、決して物怖じすることなく、ぱっちりと開いた目でレイホウを正面に見据えて話す。それが気に入っていた。

 エンプティは目鼻立ちがくっきりしていて、人形みたいな顔立ちの少女だった。深い茶色の髪も、トルコ石みたいに綺麗な瞳も、ほっそりとした手足も、何もかもが作り物のようだ。

 なんとなく、子供の頃欲しかった人形に似ているように思える。そんな、幼い日の感傷も彼女をそばに置いた理由かもしれない。

 「では、湯浴みでもしてとっとと寝るか・・・。」
 「はい。かしこまりました。」

 エンプティに脱いだ服を投げるように手渡すと、レイホウは執務室の奥にある扉を開けて、彼女専用の浴室へと入っていた。

 木桶をつかんで、湯を一息にかぶると、自分でも気付かない外気の冷たさで萎縮していた皮膚が、チリチリと焼けるような感覚と共に弛緩していくのがわかる。

 この感覚がたまらなく好きだが、これが味わえるのは入って最初のひと浴びだけだ。それが残念でならなかった。

 髪を洗って、全身を清め、用意してあったタオルで全身の水分をふき取ると、レイホウは勢いよく浴室のドアを開けて執務室に出た。

 既に執務室にはエンプティの姿は無い。このままレイホウがすぐに寝るだろうと察していたのだろう。
 事実その通りレイホウは全裸のまま執務室を突っ切って、浴室と逆側の壁にあるドアへと入っていった。

 彫刻の施された豪華な執務室の机とは対照的に、簡素な机と椅子が一組置かれたその部屋は、普通のプリースト達の部屋と同じ程度の広さしかないが、一つ決定的に違うことと言えば、部屋の八割を占めるベッドだった。

 潮の満ち引きによる海岸線の差ほどに激しく変動する彼女の寝相をカバーするためのキングサイズのベッドが簡素な部屋の中で不思議な違和感をかもしだしている。

 もっとも、ただ巨大なベッドならば良いのだが、ベッドの上にはぱっと見ていくつあるのか解らないほどの枕が配置されている。

 これは、彼女が大司教になって初めて叶えた昔からの夢である。埋もれるほどの大量の枕とともに眠ってみたい。という、正常なのか異常なのか微妙なラインの願望の結実したものがこれだった。

 もっとも、彼女の寝相は自らの安眠は守っても、彼ら枕の安定などは保ちはしない。枕達は彼らの主人が眠りに落ちると同時に、過酷なサバイバルに身を投じることとなる。

 あるものは蹴落とされ、あるものはたたき出され、あるものは押し出され、淘汰されていく枕のうち、朝まで残っているものは二個や三個しかない。

 この、落ちた枕を拾って配置したり、乱れに乱れたシーツを直すのは、先ほどのエンプティの仕事である。

 レイホウは目標の枕の海をとらえると、服も着ずにそのままベッドに向かってダイブして、シーツを巻き込んでくるまって、芋虫みたいな姿勢で枕の中にうずもれていった。自分でもあまり関心できるスタイルではないとは認識していたが、これが最もリラックスして心地よく眠れる方法だと確信していた。

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 翌朝、エンプティがレイホウを起こしにやってきたのは、既に太陽が随分高く昇ってからだった。いつもだったら、もっと早いのだが、こうして自分の疲れていることを予測して、遅く起こしにくるような、こまやかな気使いもレイホウは気に入っていた。

 幼いように見えて実は抜け目が無い。

 のそのそとベッドから起きだして、下着から始まっていろいろと体を締め付ける複雑な機構を装着していると、どうして人間はここまで何重にも布を重ねないとならないのだろうかと疑問に思うことすらあった。

 決して、物理的に身を守るためでもなければ、着飾るためでもないだろうとレイホウは思っていた。
 これは自分と社会をつなぐ触媒なのだ。

 人間が得られる他人に対する情報は主に視覚によるところが大きい、内部的な情報をグラフィカルな形で外側にフィードバックしてやる作業が、対人関係においてはどうしても必要なのだろう。

 それを解決するデバイスが服なのだろう。

 目に見えない内部的情報を服装という形で外部にフィードバックして他人に対して、その視覚情報を元に自分という存在を認識させるのだ。

 逆に言えば、重要なのは服で、体は飾りということになるだろう。
 自分にとっては外装を身にまとった精神であっても、他人から見れば精神を持った外装に過ぎない。主体が変わるのだ。

 人は、その外見を見て、それをその人間だと判じて、その中身をオマケのように考える。

 言うなれば、服が本体になってしまい、服しか見ていないのだろう。本末転倒とは思いつつも、それによって社会は今まで上手く回ってきたのだから、異を唱えるのもバカらしいと思い、今日も様々な締め付けを甘受する。

 ガッチリと全身を大司教というレッテルの服で固めると、レイホウは執務室へと入っていった。外装を大司教という服で固めて、さらに執務室という型に入って成型されることで、自分という人格は大司教という物体になるのだろう。なんだか少し腹立たしくて、こっそりとベルトを緩めた。

 執務室には、いつから待っていたのか、ボルツマン司教補が口には出さなくとも、その表情で眠いですと雄弁に語りながら待ち構えていた。

「ねぇ〜むれぇ〜♪ねぇ〜むれぇ〜♪」
 わざと服装と部屋に相応しくないジョークで歌ってみるが、ボルツマンは疲れのせいもあってか眉一つ動かさなかった。

「相変わらずお人が悪い・・・おはようございます。」

「ふん。眠そうなお前は凶暴そうに見えるな。」

「お褒めに預かり恐縮です。」

「眠くて頭が回ってないのか、本気なのか判じかねるな・・・。で、何の用だ?」

「遅ればせながら、修道院の連中のいちおうの取調べが終わりましたので、ご報告に参りました。」

「・・・。眠そうだな。眠そうなお前の顔は不愉快だ。書面にまとめたものもあるだろう。それを置いてとっとと寝ろ。」

「お、お気遣い痛み入ります・・・。では、こちらが報告書となりますので・・・失礼いたします。」

 ボルツマンは心底助かったという顔をしつつ、書類を置いて部屋から退散していった。

「おやさしいのですね・・・。」
「何・・・お前ほどではない。」

 部屋の隅で控えめに立っているエンプティが少しうつむくのが視界に入った。これが彼女なりの照れ方であり、レイホウはこのやけに控えめな喜びと照れの表現を、意地悪く黙って見つめるのが嫌いではなかった。

「さて、読んでみるかな・・・。」

 書面に目を落として文字を追っていくと、それこそボルツマンにいちいち報告させなくて良かったと思うような既知の事柄が並んでいた。

 レイホウが殴り倒された時間帯のアリバイもほぼ全員が完璧だと言えた。
 まず、エウフラシアとトゥリビオはフォルミスと一緒に話を聞いていたという。これは既に、朝一でフォルミスの宿を探し出して確認済みだという。

 マルコに関しては、二階に上がるのをレイホウが確認していたばかりか、逆側の階段から後ろに回り込もうとすると、必然的にフォルミス達とすれ違うという点から、マルコのアリバイも完璧だった。

 ここまでは大方予想のついた事柄だったが、この次に書かれていた一文はレイホウにとっては完全に盲点で、いつもより早起きして見る早朝の町並み程度には新鮮に思えた。

 つまり、可能性としてこの時点・・・つまり、レイホウが殴り倒された時点において、修道院内に居る可能性があり、なおかつアリバイが無いのは殺されたフェリクスだという意見である。

 この時点でフェリクスは生きており、彼がレイホウを殴り倒したという見解だった。さらに、レイホウを手紙で呼び出したのはフェリクスであるから、その点を考えれば彼ならば計画的な犯行が可能だったということにもなる。

 だが、これはあくまで完全に推測に過ぎない意見だ。

 次に、レイホウが救出されて、二階のベッドに運び込まれた後のアリバイも全員が同じ部屋におり、下に行ったエウフラシアとトゥリビオが妙な動きをしていないことも、フォルミスから確認済みであり、これはいよいよフォルミス達がグルで無い限り物理的に不可能という説が濃厚になってきた。

 ただし、あくまでコレは内部に絞ればの話で、気絶させるなり、先に絞殺するなりしたフェリクスを、修道院の外に隠しておいて、外部犯が堂々と彼をかついで侵入し、皆が二階に上がっているスキにぶち込んで殺したという説も当然ながら存在している。

 むしろ、そのほうが綺麗に片付くだろう。

 それから、報告書の最後のページに随分と興味深いことが記してあった。
 犯行当時あそこに居たメンバーは上記のとおりだが、外に出かけていた人間として、ジゲムントという老人がいるらしい。

 晴れの日は必ず本を持ってどこか外に散歩に行くのが日課だという居候だと書いてあった。だが、犯行当時に彼は修道院内に居なかったし、彼の足腰では死体を動かすことも、殺すことも難しいだろうとして、疑いはあるがあまり重要視はされていない。

「ふぅ・・・なんだか、妙な事件だ。」
「妙、ですか?」

 エンプティは部屋の隅から、控えめながらもはっきりとした声で聞き返した。
 この声がたまらなく好きなレイホウとしては、エンプティに何か意見を聞くという行為は、思考のためというよりも、嗜好のためだと言えた。

「妙というか・・・不可能な犯罪なのだ。頭数が足りぬ。だが・・・外部犯だとすると、恐ろしいほど時間に的確で大胆なヤツだ。あまり考えたくない。」
「つまり、関係者の中に犯人が居ると、お考えなのですか?」

 レイホウはエンプティの問いかけにそのまま黙り込んで、報告書が魂をもっていたら、恐ろしくて逃げ出しかねないような目つきで、書面を睨んだ。

 関係者の中に犯人が居る・・・それは物理的に不可能だ。
 神罰という文字に騙されて内に目を向けるのは愚かかもしれない。内部の人間は素性が知れているし、放っておいても逃げはしないが、不定な外部の人間は逃げるし痕跡も消えていく。

 ならば、優先すべきは外部だろう。

 しばらく報告書をとにらめっこをしつつ、文字などは上の空で頭の中で犯行の可能なパターンをシミュレートしていると、ドアをノックする音が彼女を現実に引きずり戻した。

「レイホウ様。お客様がいらっしゃっております。」

「通せ。」

 ドアの向こう側の声に応えて入室を許可すると、長い銀髪の少女が軽やかな動きで一礼して室内に入ってきた。

 きめが細かくて、見るからに高価なものだと解る若草色のワンピースに春の陽光のようにきらめく銀髪が、びっくりするほど決まっていて、さすがのレイホウも思わずため息を漏らした。

 春の妖精が訪問してきたような感じだ。

「お久しぶりです。」

 あくまで優美に微笑んだ少女にレイホウは確かに見覚えがあった。革命を指揮し、革命に準じた貴族、バーソロミュの遺した娘・・・確か名前はイロリナとかいったはずだ。

「イロリナ・・・だったかな。久しいな。」

「はい。お忙しいところ、突然にお邪魔して申し訳ございません。」
「構わんよ。それから、その手の定型文みたいな挨拶は無くても構わん。そんなものあっても無礼なヤツは無礼だし、無くても礼のあるやつはそれが損なわれるわけじゃない。」

「では、失礼して単刀直入に申し上げます。教会内の図書館を利用したいのです。」
「図書館?・・・あぁ、書庫のことかな。あんなところ何に使うのだ?面白いものではないぞ、過去の歴史に関する書物ぐらいしかない。遠征記録、その帳簿、異端審問、各異端潰しの報告書とか・・・そういうのが多い。」
「それをご拝読させていただければ幸と思いまして・・・。」
「理由は?」

 思ったよりもはるかに真剣な眼差しで訴えかけてくるイロリナに少しだけ気おされながらも、レイホウはその倍の圧力をかけるくらいの気概で問い返した。

「知的好奇心・・・では不十分でしょうか?」
「許可しよう。下らぬ理由を連ねるようなら許可しないつもりだったが、それならばよい。」
「感謝の極み・・・。」

「エンプティ、こいつを案内してやれ。」

「はい、かしこまりました。」
 珍しく対抗意識でも芽生えたのか、エンプティは彼女にしては妙に珍しい芝居がかった優美さで返事をした。

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 アコライトの少女に案内されて歩く大聖堂の廊下は少しだけ埃の臭いがした。
 イロリナは大聖堂の中で極端に浮いて見える服装ながらも堂々と風を切って歩きながら、エンプティと呼ばれたアコライトの少女についていく。

 想像以上に健脚のようで、少しだけ脚が辛かった。

「イロリナさん・・・でしたっけ?」

 歩きながら振り返らずにエンプティが聞いた。

「そうね。イロリナ・バーソロミュ。」

「何故、書庫をご利用になられるのですか?」
「貴方、レイホウ様の侍従?」
「はい。」
「ふぅん。気に入られているようだね。」
「お陰さまで。」

 少しはにかんでいる様子が背中からもうかがえてイロリナは顔をほころばせた。
 無愛想に見える少女だが、なかなか可愛らしい。無愛想を極めたなどと兄に揶揄される自分がそんな感想を持つのが可笑しかった。人のことを言える場合ではない。

「秘密を隠すのは得意かい?」
「苦手です。問われれば答えます。」
「じゃあ教えましょう。」
「え?何故です?問われれば私はウソをいえませんのに。」
「だからこそなの。ヘタに嘘言ってばれて怒られる心配が無いでしょう?私の秘密のせいでえ怒られたら可哀想。」
「変な方。」

 酷い言われようだが、不思議と嫌な気はしなかった。

「えっとね。異端っぽいのみつけたの。」
「そう・・・なのですか。」
「で、それのマークが独特だったから、何か記録に無いかと思ってね。」
「調べてどうするのです?」
「それで終わり。でもレイホウ様に知れたら終わらないかもしれないでしょう。だから秘密。」
「・・・。それで・・・終わりですか?」

 不思議そうに聞き返すエンプティに、イロリナは少し大げさなくらいの動きで、もう一度頷いた。もっとも、歩いているので相手からは見えないのだが。

「終わりよ終わり。手に入れた知識を何かに役立てなければならないなんて法律は無い。極論すれば、無駄なことだからこそやろうと思う。知識なんて全てそういうもの。それが純粋な状態だってのに、みんな何故か役に立つとか、何かに用いるとか、色んなレッテル・・・そう、外から見て解りやすいレッテルを身につけて濁っていくの。」

「役に立たない・・・か。なんだか、面白そうですね。あ、こちらが書庫です。」

 エンプティは小さな木戸の前で立ち止まって部屋を指し示した。

「ご自由に使って頂いて結構ですよ。ただ・・・次回からはもう少し、簡素な服のがよろしいと思います。それから、マスクなどもあれば良いかと・・・。ところで、イロリナさん一つうかがってよろしいですか?」

「なに?」

「入り口の天井画、ご覧になりました?」
「見た。立派だ。」
「救世主様はどのような表情をなさってました?」
「視力は良いほうだから、あれははっきりと見えた。なんだか、不思議なオモチャを目の前にした子供みたいに嬉しそうだった。不思議な表情だね・・・宗教画にしては。」

「はは・・・そうですか。それはそれは。では、こちらが書庫ですのであとはご自由にどうぞ。私は失礼しますね。」

 ドアを開けてみるとエンプティの言葉の言った意味をイヤというほどに実感したが、好奇心はイロリナの脚を突き動かした。

 埃が堆積してフワフワの絨毯みたいになった床と、それの発する乾いた匂いと喉の痛くなる空気が不愉快だったが、難関があるほうが不思議と燃える。

 役に立たないことのために自分は苦労をしているという、不思議なマゾヒズムが全身を突き動かす。

 エンプティはイロリナが書庫に入っていったのを見届けると、再びレイホウの執務室へと戻っていった。
 部屋に入るなりレイホウはエンプティを槍みたいな視線で動けなくして、雷鳴みたいに全身に響く声を発した。

 ただ、声が大きいわけではなくて、単に存在感がケタ違いというだけだ。

「ご苦労だった。ところで、エンプティ。私に何かイロリナの事で隠し事をしていないか?」

 いきなりズバリとやましいところを貫かれて、返答に窮するがエンプティは覚悟を決めると、自分を打ち据える視線を真っ直ぐに見詰め返して口を開く。

「隠し事をしております。」

「そうかそうか。素直なヤツだ。だったら聞くのは野暮だな。」
「え?」
「聞いて欲しくないから隠し事だろう。それとも、聞いて欲しいのか?」
「いえ、滅相もございません。」
「お前がウソを言えないのを知った上で問い詰めるほど、私は意地悪じゃない。ま、話す必要があるならイロリナのほうから話すだろ。書庫を見たい理由が、知的好奇心だなんて・・・ウソじゃないが、不足にも程があるな。全ての行動原理の根底じゃないか。100ある理由のうちの1ですらない・・・むしろ、必要ないから消えているプラスの符号くらいの理屈だ。」

 ニヤニヤと面白そうにこちらを見つめているレイホウの目は、吸い込まれそうなほど不思議な混沌が宿っている。

 きっと、この目を通して世界を見たら、何もかもが楽しく見えるのだろうと少しだけ羨ましかった。

 

 -つづく-