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「赤みがかった緑になじんでいる人であれば、赤で始まり緑で終わるような、ひょっとしたらわれわれにとっても、その二つの色の間で連続して移行するような色の系列を作り出すことができるはずである。その場合われわれがいつも同じ色合いを、たとえば茶色を見ているところで、彼はあるときは茶色を、別のときは赤みがかった緑を見ていることが明らかになるかもしれない。たとえば、われわれには同じ一つの色にしか見えない二つの化合物を彼は色によって区別することができ、一方を茶色と他方を赤みがかった緑と呼ぶ、ということが明らかになるかもしれない。」 ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン 色彩について --- その部屋に堆積した埃の臭いをかいでいると、書物という媒介から知識を得るということを覚えたのは、いつの頃だったかという疑問が、イロリナの心の中に湧きあがってきた。 そもそも、自分がどうしてここまで書に傾倒し、書に狂い、書に生きているのか、そんな理由すら思い出せない。 長い年月の間に、記憶の上に埃が降り積もって、その姿を隠してしまったのだろう。本のように、埃を払えば見失う前のままの記録を残しているかもしれない。だが、その埃はあまりに頑固だったし、あまり自分自身のことにはイロリナは興味を持っていなかった。 いくつかの教会の資料をあさっていると、ついつい関係の無い資料の関係の無い文面が目に付いて、目的のものをほっぽらかしてしまうということが先ほどから、頻発というよりももはや、それが必要なメソッドであるかのように連続的に発生している。 そんな自分を客観的に嘲笑しつつ、部屋の掃除を思い出す。 それと同じ事が発生しているが、不思議とそれをやめようとは思わなかったし、時間が無駄であるとも思わない。そこらへんが自分のダメなところだとは思いつつも、わかっちゃいるけどやめられないという状態でイロリナは激しい道草をしながら資料を探しつづけた。 とにかく、今現在においては天国というものの存在を肯定するならば、この場所は自分にとっては限りなくそれに近い場所だとイロリナは認識している。 かび臭い本も埃も、喉に突き刺さるような乾燥も何もかもが、むしろ好ましいと感じる。 いくつかの書物を、ぱらぱらとめくりながら目を通していくと、稀に目にとまる単語や文があり、それを見つけるとしばらくそれに目を通す。 そしてまた次へ行く。 この繰り返しでイロリナは目的のものを探しつづけていたが、一つ言っておくと、この目にとまる単語や文と目的のものには何ら関連性は見出せない。 単に、興味がある、というだけであった。 そのなかでも、会議の議事録などはついつい失笑してしまったりもした。 他にも、アーチ建築の設計図や、数年前に行われた大聖堂の内装の一新の際の見積もりや工事計画など、保存されている書類は他分野に及び、イロリナの好奇心をガッチリとつかんで離さなかった。 ただ、目的の妙な十字架・・・というよりもT字架に関する資料は殆ど見つからなかった。 半ばがっかりしつつ、なにげなく手にとって書類の方が遥かにエキセントリックで生々しく、そしてセクシーな情報だった。 もう数年前になるが、レイホウが大司狂に就任するきっかけともなった大規模な教会改革で処罰された人間のリストである。 いわゆる、地位の売買に始まる多種多様な聖職腐敗の徹底たる断罪を強いた記録がかかれている。 刑の違いこそあれど、そこに書かれているのはまさに地獄に送った人間リストであると言って良いもので、それぞれの人間の名前、地位、それから罪状に処刑方法、死に様などが事細かに記されている。 二百年前の死んだ記述よりも、はるかに生き生きと、そして生々しく、蠢惑的な文章で、イロリナは思わずかじりつくかのように読みふけってしまった。 もう一つ、目に付いたのは近くの修道院から謎の奇病が発生しているという10年以上前の報告書だった。 もっとも、そんな恐ろしい病が大流行していれば自分が知らないわけもないし、この修道院の周辺程度で収まった単発の感染だろうとイロリナは考えた。 ひょっとしたら、そう結論付けることで自分が知らなかったという敗北感を無意識に緩和したのかもしれない。 とっさに物が飛んでくると眼球を守ろうとして目を閉じるのと同じくらいに、人間の精神というのも自己防衛に対しては俊敏だ。 一通り興味深いものを読み終えると、イロリナは本や書類をもとあった場所に戻すと書庫から廊下へと出た。 薄暗く鬱屈した空気の詰め込まれた書庫から、明るく冷たくてさらさらの空気に満たされた廊下に出ると、夢から覚めたような不思議な感覚がある。あるいは、サーカス小屋から出てきたような気分だ。 なんとなく清々しい気分で廊下を歩く。 「あ、あなたは。」 世界全てを受け入れているかのような、極端に剛性の小さい・・・というよりも、絶無に等しい微笑を浮かべて、少女、エンプティはイロリナに問い掛けた。 その微笑を見ていると、そんな顔ができるのが羨ましいと感じると同時に、自分には一生かけても真似できないだろうと感じるイロリナであった。 「あの、レイホウ様は?」 「お出かけになられました。」 「そっか・・・。じゃあ、よろしく伝えておいてくれる?」 「はい。かしこまりました。お気をつけて。」 「ありがとう。」 イロリナはエンプティに感化されたのか、自分に似合わない柔和な笑みなど作ってみようとしたものの、なんだか途中で気恥ずかしくなって、結果として顔面が痙攣しているような不思議な表情になってしまった。 イロリナはそのまま聖堂から歩いて、太陽の光を全身に浴びながらプロンテラの通りを進んだ。 かつて、彼女はもっと飾り気の無い、極論すれば言葉から要旨というエッセンスだけを抽出して、それをもっとも合理的かつ短い音で伝えるようにしていた。 少なくとも、女の子らしいなどというのとは、それこそ月と太陽くらいには離れていたし、そうしようとも思わなかった。 だが、最近になって少しだけその心が氷解しつつある。 エンプティの微笑を見て、イロリナのなかのその念は一層強くなった。 そんな、不安定な感情が、微笑と仏頂面の間で揺れて、さきほどのような引きつった微笑みに軟着陸するのだ。 自分が毛嫌いしてきた一般というものへの迎合を望む人格が自分の中に生まれてきていることが、イロリナには明確に認識できたが、それの発生が即座に不快に繋がるかというとそうでもない。 そんな人格が生まれてきたということが、少なからず安堵を与えているのも事実だった。 大聖堂を背にイロリナはそのまま外周大通りを南下し、東西に走る中央通を右へと曲がる。 不思議と、鬱屈していた思考をそんな喧騒が吹き飛ばして、心を解放してくれるような錯覚を覚える。 ふと、露店を見て歩いている自分の姿が映ったガラス窓を見て、イロリナは息を呑んだ。 笑っている・・・。 ガラスの中で自然に微笑んでいる少女は誰だろうかという問いに対して、脳はそれは自分ではないという大前提をぶちあげたが、それは光学的にありえないことだという事実も発生する。どこに間違いがあるのか遡って、そしてやっと笑っている=自分ではないという、長い間に作り上げてきた思考パターンに辿り着いたのだ。 少なからず、その姿に衝撃を受けるものの、イロリナは今度は鏡の中を哀れむように嘲笑し、そこから視線を外した。 「あら・・・あなた、イロリナ・バーソロミュちゃんじゃない?」 突然に声をかけられて振り返ると、世界の色彩を塗りつぶしてしまいそうなほどの、吸い込まれそうな黒髪の女性がにこやかに微笑んでいた。 一瞥しただけで、そこに宿る知性の灯を感じさせる瞳のやや下には、冗談みたいな鼻めがねのミニグラスが鎮座しており、まさに学者のステレオタイプといった顔を作り出している。 だが、その容貌がギャグにならないというのが、その女性の真価であり、本質的な美しさのなせる業でもある。 一瞬でそこまで分析してから、イロリナは柔和な笑みを浮かべてみた。実践配備第一号の笑顔だ。 「ごきげんよう、フォルミスさま。その節はお世話になりました。いつからプロンテラへいらっしゃっていたのですか?」 ちょっと大げさに驚いたような表情を作り、口に手を当てて驚くフォルミスを見てイロリナは心の中で負け1と記した。 元々、フォルミスには一年前に起きた事件で随分と世話になったらしいのだが、イロリナ自身が前後不覚に陥っていたせいもあって、今ひとつ具体的な記憶は無い。 ただ、解っているのは自分が何かを失った・・・ということだけだ。 「柔らかくなっては・・・いけませんか?」 イロリナは少し聞き返し方がとげとげしかったかと反省しつつ、フォルミスの顔を見上げてみたものの、そこには相変わらずの微笑があった。 ただ、少しエンプティの微笑とは違う。エンプティの微笑みは剛性も弾性も皆無に等しいものだったが、フォルミスの微笑みは剛性こそないけれど、弾性には富んでいる。 「いいえ。悪くは無いわ。笑顔のほうが長生きできるわ。」 「違うわ。」 「笑顔のほうが敵が少なくて済むわ。背中からサクってヤツが減るの。」 今まで自分に無かった言葉をイロリナは反芻した。 「面白いですか?世界が。」 フォルミスは勝ち誇ったように笑っていた。流れる黒髪に絡む陽光は、確かに青にも緑にも、白にも金にも、そして黒くも見える。髪の毛は黒いのに、光の反射しているところは白く見えて、だがその実、よくみてみれば黒ではない・・・。 他方、イロリナは今までの人生で、道端にたくさん落ちていた宝石を全て無視してきていたという事実に気が付いて、過去有数の落胆を覚えていた。 「あらあら。随分ショックだったみたいね。」 「そ、そうですか。」 それを認めてしまうのも傲慢な気がするし、認めないのも癪なので、イロリナはとりあえずあいまいな笑みを浮かべて目線をそらせてしまった。 どうにも、このフォルミスを相手にしているとペースをかき乱されっぱなしになってしまうと、イロリナは少し不思議に思っていた。 なぜか、フォルミスは回りのものをどんどん自分のペースに巻き込んでいく渦潮のような力を持っているし、なにより恐ろしいのはその渦に巻き込まれていく自覚が無く、気がつけば首までどっぷりという状態だということだろう。 「そういえば、話は変わるのだけれども・・・あなたのお兄様。随分とお仕事で頑張っているらしいわね。」 有無を言わさぬというより、拒否する理由を食いつぶしてしまうような笑みを浮かべるフォルミスを前に、イロリナはついつい頷いてしまった。 「では・・・ついてきていただけます?家までご案内します。」 そしてそのまま、フォルミスを先導する形でイロリナは歩き始める。 もともと、騎士団を中心として貴族が多く住んでいたこの一角だけは、革命以前の厳かな空気を今に残すプロンテラの中でも異質な空間となっている。 辿り着くまでの間、会話はずっと途絶えていてたが、フォルミスは終始愉快そうに回りの建築物を見回していた。 相変わらず立派な鉄製の柵の入り口を通り過ぎて、広い庭を玄関へ向けて半分ほど進んだあたりで、メイドの娘がしずしずと出てきた。 不思議なほどの入れ替わりの速さで、イロリナは昔どおりの無骨な話し方に戻って、顔までそれに見合った仏頂面になる。 「はじめまして・・・じゃなくて、確か一度お会いしたことがありましたね。一年前の革命のときでしたでしょうか。」 フォルミスは先ほどとは少し違う、社交的な作られた笑顔をして頷いた。 「メイドのガートルードです。御用の場合は何なりとお申し付けください。ささ、こちらへどうぞ。」 フォルミスは家の中の床を土足で踏みつけることに軽い高揚感を覚えつつ、案内されるままに客室へと進み、そのまま沈み込んで潰れてしまうのではないかと思うような柔らかいソファに腰掛けた。彼女にとってはこの柔らかさが、なんだか不安で、故郷の座布団を恋しく思った。 横にイロリナが座る。 ほどなくして、フォルミス達が入ってきたのとは逆側にあるドアを開けて、銀髪を短く切りそろえた好青年が部屋に入ってきた。 「こんにちは。突然の訪問、お許しください。」 フォルミスは立ち上がって自国の礼儀にのっとって頭を下げた。 「いえ、大丈夫ですよ。お気になさらずに。あ、申し送れました。ロージアン家当主のモーリス・ロージアンです。」 「フォルミス・ツチミカド・ルッセリアです。よろしく。」 少年みたいに喜びながらモーリスはフォルミスの向かい側のイスに腰掛けた。 「いやぁ、かねがねお噂は聞いておりましたが・・・感動です。」 嫌な予感が的中してフォルミスはため息をついた。 対お世辞迎撃モードといった感じの笑顔でフォルミスは微笑んだ。 ガートルードが紅茶のカップを三つ持って部屋へとやってくる。 「砂糖とミルクはいかがいたしましょうか?」 「今日はマイノリティか・・・。」 モーリスは白濁した自分のカップの中身を見つめて肩をすくめた。 「良いお茶ですね。」 顔が緩みっぱなしのモーリスはイロリナに釘をさされて何とか真顔に戻って見せたが、やっぱり少しだらしなく笑っているようにも見える。 「ところで、モーリスさん。まいにちあゆみという商人をご存知ですか?」 フォルミスは相変わらず余裕の笑みを浮かべているが、話が商売の方向になってから、すこし場の空気が緊張している。 緩んでいたモーリスの顔も今ではすっかり社交的微笑みという名の真顔になっていた。 「はい。あゆみさんは、どちらで仕入れていらっしゃるのですか?」 フォルミスはテーブルに置いてあった紅茶を一口飲む。 少しの間、誰も何も口にしない時間が続いた。 「今日は・・・これくらいにしておきましょうか。」 フォルミスは笑顔を浮かべてソファから立ち上がった。 「1ラウンド目はこんなものですか・・・。フォルミスさんもお人が悪いですね。」 「ええ。でも、町でイロリナさんとお会いしたのは、偶然でしたわ。もともとは、一人でお伺いするつもりでしたから。」 「そうでしたか・・・。また、何かありましたらどうぞ。」 客間の窓から、フォルミスが庭を歩いて家から出て行くのを見届けてから、イロリナは紅茶を一口飲んで、不満げに呟いた。 「なんだったのですか?兄上。」 イロリナは手に持ったカップの中の褐色の液面に映し出された自分を見つめた。 「あの・・・モーリス様。」 「どうしたんだい?ガートルード。」 そう言って、ガートルードは小包をモーリスへと手渡した。 「これは・・・。」 小包を開けると、そこにはパッキリと、それは無残に割れた皿が一枚入っていた。その表面には薄青色で絵が描かれており、どうも男が三人ほど描かれているように見えるのだが、それ以上は割れていて確認が出来ない。 「なんでしょうか・・・割れた皿を届けるとは無礼な・・・。」 三人とも割れた皿を囲んで一様に首をかしげていた。 --- エウフラジアは随分と長い取り調べから解放されて自室に戻ったところだった。ほとんど、夜通しで質問されつづけていたせいで、朝日などとっくに昇って、影も短くなる時間帯だった。 同じ現場に居合わせながらも、殆ど疑いを受けなかったレイホウが少し憎らしい。これが、権威の力だろうかと思うと、エウフラジアは寝不足のイライラも手伝って途端に不機嫌になってきた。 眠いのは確かなのだが、こんな時間に眠るのはどうにも罪悪に感じられた。 マルコも同様に眠かったらしく、フラフラとした足取りで自室に入っていくのが見えた。 むしろ、何かやましいことでも有るのではないかと、疑い始めている自分をエウフラジアは心の中で厳しくしかりつけた。 人を疑うのは良くない・・・。 彼女そう思い込んで、トゥリビオの態度も全て気のせいだと信じて眠ることにした。罪悪感より疲労のが勝った結果である。 養父とはいえ、父が死んだ。 そんな悲しみの海へと、彼女の意識も深く深く沈み込んでいった。 目が醒めたとき、既に日は傾いて、真っ赤な夕日が空と大地の狭間に押しつぶされようとしていた。 そこではまだ、大聖堂と帝国軍の混成の捜査班が現場の検証を行っていて、寝る前に見た気がする顔の人間が動き回っていた。 「おや。起きてきたか・・・。調子はどうだ?」 今日もたっぷり健康に寝ましたという感じに清々しく声をかけて来たレイホウを、エウフラジアは少し憎らしげに見つめ返して挨拶をした。お陰さまで・・・のあとには最悪ですという言葉が省略されている。エウフラジアはその部分を心の中で朗々と読み上げた。 「解らぬ・・・さっぱり解らぬ。どうしてあんな犯行ができたのか・・・。」 ふと、大柄な男がエウフラジアの後ろからやってきて、なれなれしく肩に手をかけた。 エウフラジアは頭二つほど背の高いその男を見上げて首をかしげた。 「貴様、何をごちゃごちゃ言っている。所属を名乗れ。」 男の曖昧な態度にレイホウの語気が少し荒くなった。ビリビリと空気を振るわせる声が、辺りにいる人間全員を萎縮させる。 「失礼しました。プロンテラ帝国軍第三歩兵師団のブリッテン・ヒルドです。これでも昔は、クルセイダーの転職試験を手伝っておりましてね・・・。その頃の知り合いとちょっと見間違えしまったんです。本当に、失礼しました。」 ブリッテンの軽薄な態度がレイホウを苛立たせた。 「やっぱり・・・私、軍人の方に知り合いは居ませんから。」 意味ありげな笑いを浮かべて頷くブリッテンを睨みつけつつ、レイホウは思案していた。 いつの間にか、気配を感じさせずに一人の老人がレイホウの横に立っていた。 「おやおや・・・昼も夜も問わずにご苦労なことですな・・・。」 「貴様・・・何者だ?」 昨日、犯行当時はいなかったが夜に帰ってきた老人がいるというのをレイホウは思い出した。 「老体。取り調べをずっと受けていたようだが。大丈夫か?」 レイホウは不機嫌そうに息を荒げた。 「そうかのそうかの。わしゃぁもうこんな年で、耳も目も弱っておるがのう。一つ言わせて貰えば、昨日はアンタら以外には修道院に人の出入りはなかったんじゃ。」 レイホウは腕組みをして厳しい表情になった。 そもそも、最初の事件・・・つまり、自分が気絶させられたのは外部犯行でなければ頭数が足りなくなる。 どちらも、不可能といえる状態で行われた事件だった。 「無理だ・・・物理的に無理がある。」 エウフラジアもジゲムントの話には懐疑的だった。 「まったく・・・ワシを信じぬか。貴様ら聖職者じゃろう。」 睨み付けるジゲムントを、レイホウは口の端を軽く上げて薄笑いしつつ見下ろした。 そうは言いつつも、レイホウは自室の枕だらけのベッドを思い出して少し心が痛んだ。 「では、空いているお部屋にご案内しますね。」 その場にいたブリッテンとジゲムントを順番に意味ありげな笑みを浮かべて見つめてから、レイホウはエウフラジアについてその場を後にした。 彼女の笑みに意味があったわけではない。 もうすぐ、2日目の日も暮れようとしていた。 --- 薄暗い部屋の中、上品で高級なものを寄せ集めて、下品なものを作り出すのが得意な連中が、下劣な品性を剥き出しにして集まっていた。 廃頽的な香りの紫煙につつまれて、ランプの揺らめく炎を見つつ、高級な酒を飲む。 そんな行為が贅沢だと思えるような下劣な人間もいるのだと、モーリスはため息をついた。 目の前の男は、酒を一口飲んで下品な笑みを浮かべた。 それなりの部屋にあれば、高級に見えるであろう立派な椅子も調度品も、そんな高級を重ね合わせて下品を作り出したこの部屋にあっては、ゴミ以下の薄汚いものに見える。 目の前の男の堕落ぶりにモーリスは目を背けたくなった。 貧しくとも心までは貧しくならず、富めるときもおごらずがモットーのモーリスにとってはまさに反面教師といえる。 彼の堕落ぶりはかねてより聞いていたが、実際に会うのは初めてだった。 もっとも、今日彼を呼び出したのは、他でもないレオ・フォン自身だった。 面白いものがあるから夕食がてら遊びに来いと言われて来てみたものの、あったのは不愉快なものだけだった。 部屋中でそんな光景が繰り広げられる中・・・レオ・フォン・フリッシュもその股間に頭をうずめた女を片手で弄びながら話をしていた。 「くっくっく。どうだね?」 「なんというか・・・狂っていますね。」 その言葉はモーリスの逆鱗に触れるには充分な力を持っていたが、もはや怒りを通り越して呆れた彼には、怒る価値すら感じられなかった。 「確か・・・君のところには妹がいたね。なかなか賢そうで美しい娘だ。」 モーリスの肩が小刻みに震えていた。 スっと風を撫でつける音とともに、モーリスの手から離れた手袋がレオ・フォン・フリッシュの顔面に叩きつけられる。 「私個人への侮辱ならば、あなたに師事した日々の恩に免じていくらでも耐え忍びましょう。ですが、あなたは我が妹を侮辱した。これはもはや許されざる蛮行。剣をとれ!レオ・フォン・フリッシュ!己が正しいと思うならば私を打ち倒せ!」 モーリスはやおら立ち上がって抜刀した。 「はぁ?決闘?決闘のつもりか?モーリス。どうした?酔うには早いぞ。まったく。」 相手が逆上して、剣を抜くことを期待していたモーリスは拍子抜けすると共に、言いようの無い哀しみを感じた。かつての師匠である彼を相手に決闘を申し込めば・・・昔のように剣を抜いて応じてくると思っていた。 だが、目の前にはもはや・・・かつての師匠としてのレオ・フォン・フリッシュは欠片も無く、ただの醜く肥え太った男だった。 目から涙が溢れ出してくるのを感じる。 モーリスは刀を鞘に戻すとうつむいて、ポタポタと涙をこぼした。 「何を突っ立っているモーリス。あまり面白いジョークではないぞ。どうだ?妹はダメにしてもこないか?いい聖職者がいるんだ。すっかり立派なメス豚に育っている。いいぞぉ。神を汚す高揚感は。」 もうどんな言葉も聞きたくはなかった。
続く |