-枕かへしの見る夢-
黒は白の中

黄帝は王母に命じて鏡を十二鋳させ、月毎に一ずつ変えて用いた。これがその始まりである。鏡の内は明るく外は暗いので、そこにまるで神明があるようであり、邪魔を辟けることができるかのように思える。鏡を盛んに玩弄するようになるのは、魏の宮中からである。

軒轅内伝

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 大聖堂から出た瞬間、レイホウは朝日のまぶしさに目を細めた。
 その日は、朝早くからイロリナ・バーソロミュが書庫を使わせてほしいと言って来ていたが、後のことはすべて、レイホウの秘書とも言える存在であるエンプティに任せることにした。

 別にイロリナに対して妙な勘ぐりをする必要も無いだろうし、エンプティならば適当に相手をしておいてくれるだろうとの考えの結果だった。

 レイホウはそのままシャキシャキと音を立てる芝生を踏みしめつつ、大聖堂裏の墓地へと向って歩きながら、一年前に出会った少女のことを思い出していた。

 プロンテラ革命の指導者の娘として生まれ、そして革命を進めることに命の炎全てを燃やし尽くした、そんな少女だった。

 その彼女の眠る墓標の前でレイホウは立ち止まった。
 少ししぼんでいるようだが、誰かがささげたような花がその場に置かれている。

 墓の前で短く祈り、目を閉じるとまぶたの裏に当時の情景が今でもありありと思い出されてくる。
 彼女と共に戦い、ヴァルキリーレルム監獄襲撃の最前線に立って戦ったのが、つい昨日のように思い出された。

 轟々と鳴り響き、脳髄まで麻痺させるような群集の放つ大音響、気の狂ったオーケストラのように響きつづける甲高い金属のぶつかり合う音、そして命が爆ぜるような、銃声。
 頭の奥に残っていたそれらの音が、映像と共に蘇ってくる。

 この世の地獄のような場所で戦った日々を思い出すと、少しだけ血が騒ぐ。

 目を開き、再びその墓標を見つめる。
 彼女がこの発展したプロンテラを見たらなんと思うだろうか。

 革命の成果を見て喜ぶか、それともこの混沌ともいえる世界を見て悲しむか・・・。

 レイホウは断ち切るように勢いよく踵をかえし、墓標に背を向け、風を切って歩き出した。
 夕方にはもう一度、あの事件のあった修道院へと向かうつもりだった。

 今から行っても問題は無かったが、夜通しで修道院で取調べをしていたということから察して、今頃、住人の連中が疲れ果てて夢の中にいるはずであろうことは容易に予想できた。

 だとしたら彼らが起きるであろう夕方に行くのが得策というものだ。

 レイホウはコツコツとプロンテラの石畳を鳴らしながら町の中心へと向かって歩く。

 丁度、中央広場への門の手前の民家の前に人だかりが出来ているのを見つけて、彼女は好奇心に足を動かされて、近くへと寄ってみた。

 ひそひそと聞こえる群集の噂話と、部屋の中から運び出されてきた無残な死体を見て、大体の状況をレイホウは理解した。

 プロンテラ帝国兵に抱えられて出てきたのは、首を吊ったと思われる自殺体だった。
 薄暗い部屋の中には、かつて数千万ゼニーで取引されていたような、いくつもの装備品が埃をかぶって飾られている。

 しかし、それらの価値は今となっては絶無に等しい。
 それらに与えられていた魔法の力が失われたせいもあり、戦いの無い世においては一部の芸術性をもった武器などを除いては、それらはゴミも同じだった。

 そして、戦いの無い社会、新たな世界、いわゆる市民社会へと適応できないかつての冒険者達の自殺の増加が近年のプロンテラの悩みの種となっていた。

 かつてその権力の象徴とすら言えた砦は、いまやヴァルキリーレルム監獄や、武器庫として使われるのみとなり、魔法は過去の知識となり、剣や弓は不要の鉄となり、再び熔かされて銃や大砲となっている。

 そんな中で、特にかつてその権勢を誇ったような、いわゆる「偉大な冒険者達」は時代についていけずに、こうして社会から死という形をもって排除されていった。

 あまり気分の良いものではないが、一抹のため息と共に捨て去ってしまえる程度に日常的なものでもある。

 レイホウは少しだけ気分が悪そうに眉を寄せて、死体を一瞥してから、その場を後にした。
 せっかくの気持ち良い朝の太陽がくもったようにすら思える。

 もっとも最近では、そうした行き場を失った冒険者達の心につけこんで、いろいろと悪さをするような新興宗教も出ているということで、彼女にとっても他人事ではない。

 大通りをまっすぐに進み中央広場へとレイホウは歩き始めた。
 今日も、花壇に囲まれた噴水を中心として、この街の血流とも言える人間達が、忙しく歩き回っている。人間が血液で、道が血管とするならば、この中央広場はさながら心臓とも言うべき場所かもしれない。

 そんな中央広場に面した巨大な建物をレイホウは見上げた。
 大砲から今夜の夕食まで、まいにち百貨店。と、誇らしげに書かれた看板を構えた石造りの店は明らかに、他の店舗よりも突出した数の客数を集めている。

 レイホウは人の流れに乗って、そのまま、まいにち百貨店へと足を踏み入れた。

 大理石の床と、巨大なシャンデリアで飾られた、商店とは思えない豪華なエントランスを抜けると、そこは食品売り場となっている。

 航海技術の発展によってもたらされた、様々な珍しい野菜や果物を眺めつつ、レイホウは売り場の奥へと進んでいった。

 突き当たりにある階段を上り、二階へと進むと、そこは世界の工芸品のコーナーとなっている。いかに復興し、経済も発展を見せているプロンテラといえども、これらはそれこそ平民の一年分の賃金に匹敵するほどの商品であり、売り場には殆ど人がいない。

 レイホウは崑崙地方から運ばれてきたという磁器の前で立ち止まった。

 透き通るような白い器に、細密な絵柄が鮮やかに描き出されている。

「レイホウ様。」

 突然、背後から柔らかい女性の声で呼びかけられたが、レイホウは振り返ることなく皿へと視線を注いでいる。

「どうした。」
 あいも変わらず磁器を見つめたまま聞き返す。

「少々、お伝えしたいことがありまして・・・。大聖堂に入るわけにも参りませんので・・・こうして後をつけさせていただきました。」

「だろうな。お前が尾けているのに気付いてな・・・こうして人気のないところに来た。」
 レイホウは皿に描かれた文様を指先で軽くなでて、微笑んだ。

 今現在、プロンテラという国においては異端審問という行為自体が既に風化しつつあったが、同時にそれは秩序を乱す無政府主義的とも言える邪教の萌芽を助長する原因にもなっていた。

 彼女はそれを重くみて、異端審問はしないまでも、注意の必要そうな宗教組織には大聖堂から刺客を送り込むことを励行している。
 もちろんそれは、異端を取り締まるというよりも、治安維持上の観点を重視した政治色のつよいものであった。

 背後にいる女は、そんな組織へと出向いている彼女の腹心の一人だった。

「お心遣い痛み入ります。」

 少し低く、落ち着いた、ふわりと、柔らかい布地が宙を舞うような、たおやかな声で女は礼を言った。
 この声を聞くと、レイホウは少しばかり柔らかい物腰というものも悪くは無いと思うが、そんな言動をしている自分を想像して幾度となく前言を撤回してきた。

「で、何用だ。」

「実は・・・例の組織なのですが・・・。フェリクス司教の死を預言しておりました。」

「なん・・・だと?」

 レイホウは振り向きたい衝動をなんとか押さえ込んで、小声で聞き返した。

「ですが・・・彼らが殺したというようなそぶりは何も無いのです。」

「バカな。まさか本当に未来を予測したとでも言うのか。」

「で、ですが。」

 レイホウは驚きと怒りで震える呼吸を、なんとかなだめつつ大きく息を吸い込んだが、店の空気は陶器の保護のためか乾燥していて、刺々しく喉へと突き刺さり余計に不快だった。

「わかった。お前は引き続き調査を続けろ。それから、連中から目を離すな。」

「かしこまりました。では・・・失礼いたします。」

 足音が遠ざかっていくのを確認してから、レイホウは後ろを振り返った。
 先ほどまでの声の主はもはやなく、そのあたりに陳列された美しいガラス細工が室内の光を反射して、不思議な光の文様を作り出していた。

 レイホウは店内を軽く歩き回ってから、再び一階へと降り、プロンテラの雑踏へと踏み出した。

 噴水の前で立ち止まり、さきほどの女の言葉を思い出す。
 フェリクスの死を預言した。

 だとすると、彼らは少なからずフェリクスの殺害に関わっているのかもしれない。レイホウの中で、外部犯行という可能性が一層大きくふくらんできた。

 確かに、そう解釈するならば、自分を殴り倒して気絶させたのも、犯行を行いやすくするため・・・と、一応の理由もつくと考えたが、調子よく進む思考もある一点で頓挫してしまう。

 それはやはり、フェリクスの死亡時期の問題である。

 直前までレイホウのいた部屋に死体が発生するという、奇怪極まる状況を実現する方法が彼女には思いつけなかった。

 そもそも、死体をそこへ持っていく方法があったとしても、最大の難関は死体・・・もしくは拘束した状態のフェリクスをどのようにして運搬するのかという問題である。

 思考はグルグルと頭の中を走り回り、そしてその死亡時期の袋小路に迷い込んで停止する。

「ダメだ・・・八方塞か。」

 諦めて何も考えずに店を出て、レイホウは天を仰ぎ見た。
 腹が立つほどに青く晴れ晴れとしている。

 相変わらずの賑わいを見せている広場を歩いていると、その一角で妙な熱気に包まれた人間達が群がっていた。

 右だ左だ真中だの口々に叫びながら、金を渡したり受け取ったりと・・・なかなかに忙しい。
 レイホウは興味を持って、そこに割って入ってみると・・・一人の男の前に置かれた小さなテーブルの上にカップが三つ置いてある。
 これの下にコインを隠して、その男が上手いことカップを動かしてコインの行方を解らなくし、群がっている連中はそのコインのありかに金を賭けているのだ。

 最近プロンテラで増えている路上での賭博だ。

 特に取り締まっているわけでもなく、小金を手に入れ、貨幣経済に組み込まれた小市民が楽しむのには最適の娯楽とも言える。

 レイホウも賭けずにしばらくコインの動きを目で追っていたが・・・一度として当たりはしなかった。
 どうやらカップが接触した瞬間に、上手い具合に下を浮かせて、別のカップへとコインを移しているようだった。

 元来あるべき場所にコインが無いということが群集をどんどん熱狂させて、おかしい、次こそ・・・次こそという無限のループに陥らせていく。

 そういえば、昔、古く青い箱などというものもあったな・・・と身を滅ぼしていく人間を見てレイホウは苦笑した。

 自分もよく、いくつも開けては一喜一憂していたものだ。

 それを開けずに売るのが一番正しいと思いつつも、実行に移せるほどに夢を失うまでには、多大な損失と時間を要したことは言うまでも無い。

 いいかげん暑苦しくなってきて、レイホウはその集団からなんとか抜け出した。

 あるはずの無い場所に・・・コインがあり、あるはずの場所に無い・・・。
 客観視していれば気づけることが熱中していると気づけない。

 ふと、今回の事件を思い出してレイホウはため息をついた。

 自分はあまりに当事者過ぎたのかもしれない。
 熱狂する群集のように、自分の偏狭な主観を信じて間違いを重ねていったのではないだろうかと考えた。

 そして、今一度、今度は傍観者として冷静に見てみようと決意を新たにする。

 彼女は大聖堂に戻って執務をこなしてから・・・夕方に修道院に行くために準備を進めることにした。
 いくつかの用事を済ませ、一通の書類をプロンテラ帝国軍の将軍に届けるように指示をする。
 その頃には日は随分と傾き始めていた。 

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 夕日に照らされて修道院の片面は血のようにそまり、もう片面は影によって地獄のように闇に染まっていた。

 レイホウはあたりの調査をしているプロンテラ帝国兵と大聖堂の人間を横目に見つつ、堂々と我が家に帰るかのように修道院の扉をくぐった。

 一階の礼拝堂では地面やら壁やらを調べている兵士が何人かいて、妙に横柄な態度の男がそれを指揮している。

 マルコも、トゥリビオ司教補もおらず、まだ来るのが早かったかと後悔していると、二階から階段を鳴らして見覚えのある顔の少女が降りてきた。

 プリーストの服に身を包んだ、どこか陰のある少女、エウフラジアだった。

 もっとも、陰気に見えるのは育ての親が死んだばかりなのだから当然といえば当然でもある。

「おや。起きてきたか・・・。調子はどうだ?」
「あら、レイホウさま。おかげさまで」

 彼女の問いに答えたエウフラジアの表情はお陰さまで絶不調ですとでも言いたげな不機嫌さを持っている。

 レイホウはそれを見抜いて、くだらない社交辞令よりもとっとと核心の話をすべきと判断した。

「解らぬ・・・さっぱりわからぬ。どうしてあんな犯行ができたのか・・・。」

 何か意見を言ってくれることを期待してレイホウは独り言じみた言葉を吐いたが、当のエウフラジアはただ一言「そうですね・・・。」と、そっけなく答えただけだった。

「おや、お嬢ちゃん。お嬢ちゃん、ここの人だったんか」

 さきほどの、横柄な態度の男がエウフラジアを見つけて近寄ってきた。
 近くで見ると随分と大柄なこの男は、やたら馴れ馴れしくエウフラジアの肩へと手を回した。

「貴様・・・こいつの知り合いか?」

 聖職者の女性の肩に手を回すというその男の行為に腹を立てて、レイホウはわざと威圧するような声を出して問い掛け、さらに睨みつける。

「おっと、これは失礼。まぁ、そのようなものです。」
「え?」

 当のエウフラジアは全くわからないといった表情で男の顔を見上げ、なんとかその顔を思い出そうとしているように見えた。

「この間はよかったぜ。また頼むってみんな言っている。
「あの・・・なんのことだか。」

 エウフラジアは頭二つほど背の高いその男を見上げて首をかしげた。

「おっと、そうだな。ここではそのほうが良いのかな・・・。」

 軽薄に答える男にレイホウはいいかげん怒りが込み上げてきて、さらに強い語調で
「貴様、何をごちゃごちゃ言っている。所属を名乗れ。」
 と、言い放った。


「お、俺ですか?」
 それでも軽薄な態度で、自分を指差しておどけるこの男をレイホウがさらに睨みつけると、ようやく、その怒りのまなざしに気づいたのか、男はダラダラゆっくりと、姿勢を正して
「失礼しました。プロンテラ帝国軍第三歩兵師団のブリッテン・ヒルドです。これでも昔は、クルセイダーの転職試験を手伝っておりましてね・・・。その頃の知り合いとちょっと見間違えしまったんです。本当に、失礼しました。」

 と、大根役者のセリフのように抑揚の無い声で言った。

 レイホウは無言でうなづいて拳を握り締めた。
 公務中でなければ鉄拳制裁といきたいところだったが、その場は拳を握るだけでグっと我慢する。

「やっぱり・・・私、軍人の方に知り合いはいませんから」

 横から、控えめな声でエウフラジアが言った。

「うんうん。そうだろうな。人違いだ。すまなかったな。」
 妙に優しい口調で頷いて、あっさりと前言撤回するブリッテン。

 もう、腹を立てるのも馬鹿らしいと思って、レイホウは事件のことを思案していた。
 どのようにしたら犯行が可能かどうか・・・客観的に考える。

「おやおや、昼も夜も問わずにご苦労なことですな・・・。」

 突然、気配も感じさせずに横に来て声をかけたのは、枯れ枝のような手足をした小柄な老人だった。

「貴様・・・何者だ?」

「はっはっは。ジゲムントじゃよ、ジゲムント。ここの居候になっとるものじゃ。」

 昨日の犯行当時にはいなかったが、夜になって戻ってきた老人がいたという報告をレイホウは思い出した。

 だが、一見してこの老人は・・・人殺しなんかをした日には、心臓麻痺でも起こして死んでしまうのではないかというくらいに衰えて見えた。

 前日の状況などについて老人と話をしてみたものの、あまり役に立ちそうな明確な情報は得られず、レイホウはこのジゲムントから話を聞くのを諦め、エウフラジアに命じて修道院の一室を居室として借り受けることにした。

 事件が解決するまではここで、全てを見届けてやろうという決意の現れだった。

 一応、この状況でも大司教である彼女は客人としては扱ってもらえるようで、エウフラジアはレイホウを部屋まで案内すると、夕食の準備ができたら呼びに来ると言って去っていった。

 簡素なベッドと机だけのある板張りの部屋で、レイホウは倒れこむようにベッドに寝転んだが、いつもよりも圧倒的に硬度が高いベッドだったせいで、かなりの衝撃が体に伝わって来て顔をしかめた。

 ベッドの上であお向けになって天井を眺めながら、事件のことを頭の中で整理していた。

 今朝聞いた刺客からの報告の言葉が頭によみがえってくる。
 あの事件は予言されていた・・・しかも全く関係の無い機関によって。

 それらの目に見えないつながりの糸が、ごちゃごちゃと足元で絡まって、事件はどんどんと不明瞭になっているように思われた。

 いっこうに解けない糸を、頭の中でいじくっていると、不意にドアをノックする音が聞こえた。
「誰だ?」

「入りますよ?」

 落ち着いた、優しい声と共にドアを開けて、黒髪の女性が部屋に入ってくる。

「フォルミス!?どうしてここに!」
 レイホウは驚いてベッドから跳ね起きた。

「大聖堂にうかがったら、こちらにいると言うので・・・」

「だから来たのか?」

「はい、興味があります」
 フォルミスは無邪気に微笑んで答えた。
 その微笑を見ていると、それ以上の理由を聞くのがばかばかしくなってくる。

「驚いた・・・わざわざ来るとはな」

「だって、これほど不思議なことって無いと思いません?あるはずの場所にあるべきものが無いなんて
 私もエウフラジアさんにお願いしてお隣の部屋を使わせていただくことになりました」

「はは・・・お前らしいな」

「それから、お夕食の用意ができたようですよ」
「そうか、では行こう・・・夕食の場ならば皆にも会えるだろう」
「はい」

 階段を下り二人が食堂に入った時には、マルコとジゲムントも既に席に着いていた。

「ふぉっふぉっふぉ、人が死んでおってこんなことを言うのもなんじゃが、急に華が増えたのう」

 ジゲムントが席に着いた二人とエウフラジアを見て笑った。

 食堂の外ではまだ何人かの男達が忙しく犯人の痕跡を探そうと動き回っているというのに、ここだけには場違いな日常があるかのように思われた。

「そういえばエウフラジア・・・トゥリビオ司教補はどうした?」
 レイホウは食卓を見渡して言った。

「トゥリビオ様は・・・気分がすぐれないとのことなので・・・さきほど、食事を部屋まで持っていきました」
「なんだ・・・あのオッサン案外、神経が細いんだな」

 軽い口調でマルコが言った。
 同じ軽い口調でもこの男の場合はさきほどのブリッテンと違って癇に障らないのでレイホウも笑って聞き過ごせる。

「さ、いただきましょう・・・」
 エウフラジアに促されて、お祈りを済ませて食事を始める一同。
 簡素ながらも味は良く、レイホウは満足していた。
 大聖堂ではボルツマンが食事の指示をしているのだが、彼は妙に健康志向で味より健康を優先するきらいがある。

 レイホウは機会があったらエウフラジアを大聖堂の料理番にしたいと思ったが、そんなことを言い出せば、健康のために食事がいかに大切か、ボルツマンが長々と話をするのは明白だ。

 その話を我慢して聞くのと、エウフラジアを獲得するのを天秤にかけると・・・僅差でエウフラジアが負ける。
 それほどに長くて退屈な説教臭い話なのだ。

 誰もがフェリクスの殺害事件をさけて話題を進めたため、食事の序盤から中盤戦は他愛ない世間話に終始した。

 ほぼ8割がたを食べ終えたあたりで、頃合を見計らってフォルミスが切り出した。
「あの、皆さん・・・昨日の今日でこんなことを聞くのはなんなのですが・・・フェリクス司教についてはどうお考えですか?」

 流石にエウフラジアは顔をしかめた。
 父と慕ってきた人物を失っているのだから当然の反応だろう。

「ワシも興味がある・・・詳しい話を聞かせてくれぬか?」
 ジゲムントは口許を拭きながら言った。

「俺もジゲムント爺さんと同意見だ。不思議で仕方ありませんよ。」
 残ったパン切れを手でいじくりながらマルコも賛成する。
 あれでちぎってもちぎっても同じ大きさのパンが出てきて何千人もの群集を満腹させられれば完璧だな・・・とレイホウは心の中で笑った。

 何がどう完璧なのかは彼女自身でも良く解らない。

 レイホウは水を一口飲んでからゆっくりと言葉を選んで話し始めた。
「まあ・・・順を追って確認してみるならば・・・先日、私とフォルミスがここを視察に来たわけだ・・・
 礼拝堂のところでフォルミスはトゥリビオとエウフラジアに連れられて右奥の階段から二階に上がった。

 私はブラブラと左の階段の方へと歩いていったのだが・・・そこでマルコと会って軽く話をした・・・その直後だな。完全に油断しておった・・・背後から何者かに殴られて意識を失い、気が付くと告解室の中におった・・・。」

「そこで俺が発見たんですよ・・・告解室から物音がしたので、誰かが相談に来ているのかと思って、神父側の部屋に入ったんだけど・・・なんかうめき声が聞こえるんで急いで逆側に行ったら、ドアを開けたあたりでレイホウ様が倒れてて・・・そりゃもう驚きましたよ」
 マルコが大げさで場面にあまりそぐわないような身振りで表現しつつ言った。

「お前には感謝している」

「こりゃどうも・・・それで慌てて二階に運んでベッドに寝かせて・・・大変でしたよ」

「そして・・・その後・・・ですね」と、フォルミスが話のバトンを受け取って話し始める。
「レイホウ様とマルコさんを部屋に残して、私とトゥリビオ司教補とエウフラジアさんで・・・レイホウ様の閉じ込められていた部屋を確認にいったんです。

 そうしたら・・・部屋の中に惨殺されたフェリクス司教の遺体があり・・・壁には血文字で「審判」の文字がかかれていました。」

 フォルミスは話を終えると、ひと時の沈黙が部屋に訪れた。

 最初に口を開いたのはジゲムントだった。

「つまり・・・アレか?ワシが一番怪しいわけじゃな、わっはっは。」
「まぁ・・・その老体で可能かどうかという点は疑問だが・・・実行できた可能性はある。状況証拠だけで言えば有力な犯人候補だ。」
「まったく、もうちょっと気を使って遠まわしに言ってくれても良いものを・・・厳しい大司教様じゃな。」
「そいつは悪かった・・・無罪候補最下位だ」
「それが、お前さんなりの遠まわしかい・・・まったく」

 ジゲムントは苦笑しながらため息をついた。
 レイホウも本気で犯人だと思っているわけでもなく、ニヤニヤと笑いながらその場の人間の顔色をうかがっていた。

「だが・・・犯人ではないだろうな・・・犯人だったら、誰も修道院に入っていないなどと私には言わんだろう?
 むしろ怪しい男が出入りしていたと言えば、外部犯に目を向けられる」

「なるほど、確かにそうじゃな。それを見越して言っておらねばその通りじゃ」
「食えぬジジイめ・・・冤罪でつかまりたいのか?」
「ふぉっふぉっふぉ、そりゃ勘弁じゃ」

「まったく、爺さんふざけすぎだぜ・・・エウフラジアの事も考えろよ!」
「マ、マルコ!・・・いいの、私なら大丈夫。」
「大丈夫なやつがそんな表情はしないぜ」

「落ち着かんか!マルコも・・・エウフラジアも爺さんも・・・そんなことで揉めても仕方ないだろう。
 今回の件は調子に乗りすぎた私が悪かった。その点はエウフラジアに詫びよう。」
 声を荒げて言い合っていた誰よりも大きいレイホウの声によって再び沈黙が訪れる。

「フォルミスはどう思う?」
「私は〜・・・そうですね、犯行が可能な人物なら二人いたと思います」
「二人?」

 その場にいた全員が聞き返した。
 フォルミスは余裕の表情で頷いて、人差し指をピンと立てて得意げに話し始める。
「一人はジゲムントさんです。あ、あくまで物理的可能性の話ですから、犯人探しとは直結させないでくださいね。」

「ふむふむ、お前さんも優しい子じゃな。」

「ふふ、ありがとうございます。
 それで、もう一人というのは・・・フェリクス司教ですね。
 彼ならば、レイホウさんを殴り倒した後、どこかに身を隠しておいて、みなさんが上に上がった後に自殺することができます。血文字はちょっと体を切って気合です。」

 気合ですっ!といいながら、グっとガッツポーズをとったフォルミスの姿を見て、残虐なシーンを語る割には随分とズレたそのアクションに皆が苦笑した。

 もっとも、そんな心象を与えて場を和ませることまで計算した上での行動というのも彼女の場合は考えられるのだが・・・。

「でもフェリクス司教の自殺説はあまりにも・・・なんていうか滑稽ですね。目的も何もかもわかりません。お父様は自殺するような方ではありませんわよね?エウフラジアさん。」

「あ、はい・・・特に何かに悩んでいるという事も無かったと思いますし・・・」

「本当に不思議な事件・・・どこかで時間が摩り替わってしまったような・・・まるで枕返しにでもあったかのような錯覚を覚えます。」

「枕返し?なんだそれは。」
 聞きなれない言葉にレイホウは反射的に聞き返した。

「お化けの一種です・・・もともとは、オシラサマっていう寝てる人の枕をひっくり返したり脅かしたりする、アマツの家神様が起源のようなのですが・・。
 アマツでは枕は魂が眠っている間に飛んでいかないようにするものと信じられています・・そこから派生して枕をひっくりかえすお化けが生まれました。枕をひっくりかえされると、魂もひっくりかえっちゃって・・・寝る前となんだか記憶の整合性が合わなくて、変な気分みたいな感じになっちゃうんです。
 たまに朝に寝ぼけてありますよね?今日がいつだか解らなくなるような・・・そういうのを、枕返しにあったって言うんです。」

「なるほどな・・・確かにそんなちぐはぐな感じのある事件ではある。」

 レイホウは腕組みして目を閉じて頷いた。

「変な神様がいるんですね・・・アマツって。」
 エウフラジアが驚いたように口を開いて言った。
「他にもトイレの神様とかいますよ・・・。」

「トイレの神様・・・凄い国だな、俺もいってみたいな。」
「アマツの僧侶はみんなツルツルに頭を剃っておるのじゃぞ、お前は将来ハゲそうじゃから丁度いいのう!」
「ひっでーな!爺さん・・・」

 そんなマルコたちのやり取りを見つつ、レイホウは席を立ち上がった。
 和やかな会話はできそうだが、これ以上の情報は手に入りそうも無い。

 結局、その日の夕食は既存の情報を並べなおすだけにとどまってしまった。

 食器を片付けて、各々の部屋に戻るともうすっかり夜となっており、窓の外には夜もまだ調査を続けている連中のともした、かがり火がぼんやりと赤く浮き上がっていた。

 レイホウもベッドの上に横になり、今日一日を振り返りながら目を瞑った。
 視覚を遮断して考える事に全神経を集中しようとしたのが失敗だった。

 昨日の今日ではまだ、事件の疲労も抜けきっていないらしく、気が付けばベッドの上ですっかり熟睡してしまっていた。

 

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 夜半から降り出した大雨に追い立てられて、調査隊は全員がプロンテラの町へと撤収していってしまっていた。

 そうして彼らが撤収していったのには、わけがあった。
 レイホウは自分が現場に行って捜査をするので、余計な人員はとっとと引き上げるようにと、あらかじめ修道院に来る前に、大聖堂から治安維持をつかさどる軍へと連絡を入れておいたのである。
 それが今日、ここに来る前にエンプティに託した書類である。
 そして明日の昼頃には再び、大聖堂の聖騎士団を中心とした調査チームが来る予定になっている。

 場所が修道院だけに、管轄はどちらかといえば、聖騎士団がわにあり、折からの雨もあって、気力も体力もすっかり削られてしまった帝国軍の人間達は、その圧力を丁度いい言い訳に、雨から逃げていった形となった。

 修道院は一日ぶりに静けさを取り戻し、静かな眠りについていた。

 深夜、皆が静まっている中で、激しい雨音に鼓膜を揺さぶられて、フォルミスはベッドから起き上がった。
 ひんやりと冷たい板張りの床をはだし踏みしめる感覚が心地よい。

 本来なら靴を履くべきなのだろうが、室内でも靴を履くという習慣は故郷にはなく、未だに少し抵抗があった。

 アマツから持ってきた、夜着に使っている襦袢の上から、普段から愛用している外套を肩にはおり、かなり奇怪なスタイルでフォルミスは廊下へと出た。

 深夜の不思議と静まり返った大聖堂の中に自分の足音が響く。

「う・・・ぅぅ・・・くっ」

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ」

 ふと、耳を澄ますと、一階から苦しそうなうめき声と、荒い息遣いが聞こえてくる。
 フォルミスはそっと息を潜めて階段を下りて、音の主をさぐった。

 礼拝堂の祭壇の上・・・そこで、黒い影が二つ、うごめいていた。

 荒天のせいで月光すらない状況下で、その姿は確認できない。

 目を凝らして、それを見ていたとき、背後から雷の激しい光が差し込んできて、その二人を照らし出した。

 死人の表情で、もがきながら泡を吹いているエウフラジアと、必死の形相で両手でその首を締め上げているトゥリビオ司教補だった。

 抑えきれなくなった感情の声が、フォルミスの口をついて溢れ出した。
「誰か!誰かーーーーーーーーーーー!エウフラジアさんが!」

「しまった!」

 トゥリビオはすぐさま首を締めていた手を放し、フォルミスとは逆方向へ逃げ出そうとしたが、すぐ近くにいた何者かにぶつかり、トゥリビオは顔面から派手に転倒した。

「くっ・・・・・・誰だ!?」

「・・・あは・・・あははは、お久しぶり、トゥリビオさん・・・うふふふふ、今日はどこへいくの〜?またレオさんのところぉ?アレちょ〜だい」

 聞き覚えのある声だった。
 ドカドカと足音を鳴り響かせて、上階からランプを片手にマルコとレイホウが駆け下りてきた。
「どうした!フォルミス!」
「レイホウさん・・・あれ・・・あれ・・・」

 フォルミスが震える手で指差した。
 その先には、ランプの灯に照らし出された祭壇の前に無残に打ち捨てられたエウフラジアの絞殺死体と・・・そして地面にしりもちをついて恐怖の表情で涙を流すトゥリビオ・・・。

 さらに、そのすぐ脇に座り、死んだような瞳孔の開いた目で、ふらふらと定まらない視線を空中におよがせ、理解不能な妄言や、狂ったような笑い声を上げている・・・これもまた、エウフラジアだった。

「エウフラジアさんが・・・」

「二人だと!?」

「お・・・お前は・・・お前は・・・」
 わななく手でエウフラジアの肩を掴んでトゥリビオは激しく彼女をゆすった。

「エウフラジア!お前は・・・お前は・・・!なぜだ!なぜなんだ!・・・そんなはずはない・・・」

「あはっきゃはははっ!おじさんこわーい!もう、最近ずーっと出れなくて寂しかったよぉ〜あはははは〜〜〜〜」

 狂ったように笑うエウフラジアから手を放し、トゥリビオはそのまま前のめりに床に倒れこんだ。

「私は・・・私は何て事をしてしまったんだ!おしまいだ・・・もうおしまいだ!!!うわぁぁ〜〜〜〜あは・・・あははは・・・フェリクス・・・私もヤキが回ったよ・・・ふは・・・ふははははは!イヒヒヒヒヒヒ!」

「きゃははははは!パパはまだ〜〜〜?キャハハハハハ!お外いこうよ〜遊ぼうよ〜きひゃはははは!」

 ランプに煌々と照らし出された礼拝堂の中で、二人の狂人のたがが外れた笑い声の大合唱が響き渡っていた。

 そのすぐ横には・・・目の前で笑っている狂人と同じ姿かたちの少女の死体。
 鏡に映したかのようにそっくりな一方は死人の様相を呈し、もう一方は狂人となっている。
 悪夢に迷い込んだかと思うほどのグロテスクで・・・そして美しい光景だった。

「枕返し・・・枕返しにあったんだ・・・」

 フォルミスは現実離れした光景を目の前にして、呆然とつぶやいた。

続く